――エコーとコモン――

ふとしたことから、モザンビークで地雷除去に従事していた方と知り合った。
アフリカという広大な地域にあって、インド洋に面し大陸東側に位置するモザンビークの何を知る由もなく、しかしある“勘”がはたらき、大袈裟だが気がついた時にはモザンビークという国に何度も足を運んでいた。
思えば渡仏する前も、フランスに知り合いはひとりもおらず、旅立つきっかけはあてにはならない“勘”だけだった。何かを知ることができるのではないか、という期待と勘。今や四半世紀をこの国で過ごしている。首都マプトのミュージシャンを紹介してもらい、すぐにセッションやジャンルを問わないミュージシャンたちの演奏を聴く機会を得た。
欧州列強による植民地支配はほぼアフリカ全土に及んだ。モザンビークはポルトガルを宗主国とし、街にはコロニアルな建物とカテドラル、チャペル、そしてイスラム教影響下のモスク、すなわち街では教会の鐘とアザーンが共存している。しかし一番の驚きは目抜き通りの多くに各国歴代指導者たちの名前が記されていることだ。
Karl Marx,Vladimir Lenine,Hồ Chí Minh,Patrice Lumumba,Mao Tse Tung,Kim Il Sung,Julius Kambarage Nyerere……
その名前を見ればこの国が何を目指したかがわかるだろう。
植民地解放〜独立後、モザンビークはほかのアフリカの国々同様社会主義国家への舵をとり、この国の初代大統領サモラ・マシェルはその後暗殺されたとされている。
思い出すのはブルキナファソ(旧名オートヴォルタ)の指導者トマ・サンカラやコンゴ共和国のルムンバ――。
ポルトガルのカーネーション革命、南アのアパルトヘイト、モザンビークの独立戦争〜内戦。特に南アフリカ白人政権や一部西欧の支援を受けた反政府武装組織(モザンビーク抵抗運動、RENAMO)との17年におよぶ抗争は、この国を疲弊させ、当時サモラ・マシェルが所属するモザンビーク解放戦線(FRELIMO)政権下に造られたインフラはじめ鉄道などはことごとく破壊された。この内戦で武器等を輸出提供した国々の名は想像に難くない。
アフリカ初の民間ラジオ局であり現国営ラジオの建物の前に露店を出し、CDや書籍を売っている人とある日話す機会があった。現在でも政府施設の写真を撮ることは禁止されていることを付け加えておこう。
メイド・イン・南アフリカのコンピレーションアルバムや現代ミュージシャンの打ち込みリズムが目立つ作品はあるものの、できれば“モザンビーク”の音楽はないものかと聞けば、サモラ・マシェルの時代に、多民族社会にあって国家としての文化形成を目指し、北から南まで全土で行われた録音調査で採取された音世界に触れられる国営アーカイブとしての作品シリーズがあったとのこと。
彼が手に取って見せてくれたのはこのシリーズのvol.3のみで、他の作品は今やもうないのだという。もちろん現政権下にあって国家レベルでの文化財保護のアーカイブは見られない。もちろんこのアルバムをわたしは購入し、ジャケットに描かれた楽器を眺めながら、当時の音に聞き入った。
アフリカを語る際に常にキーワードとなる、多民族国家。植民地影響下にあって今も公用語はポルトガル語ではあるが、広範な地域に分布するそれぞれの言葉、風習、宗教をもつ様々な種族を統治し社会を形成するには、政策のみならず人々の寛容性も必要不可欠だ。旗やロゴ、あるいは動物が刻印されている硬貨の中で、内戦停戦後2000年代になると、5メティカーシュ硬貨には楽器が刻まれた。それは、モザンビークを代表する伝統楽器ティンビラ。ユネスコ無形文化財に登録された楽器だ。
首都マプトの郊外で現在大きな発展を遂げているマトラ市に自宅兼スタジオをもつ、今やモザンビークを代表する伝統楽器奏者、マチュメ・ザンゴと知己を得、ある年日本でも演奏をすることとなった。
耳が調整されたのか、楽器が調整されたのか。そのときわたしは伝統楽器であるティンビラと呼ばれる木琴の音が、サックスと混じり合う際の変化を聞き取った。
マチュメのスタジオで初めて演奏した時は、あの独特な音程、それは自然素材、瓢箪の殻と木片で造られる楽器の特性でもあり、演奏者が持つ音高(ピッチ)感覚で調整するゆえに生まれるサウンドが、西洋楽器の持つある種“調整”された音高との間で感じた差異、いってみればぎこちなさとして感じられたティンビラの音が、日本での演奏時には違って聞こえた。わたしの耳が調整しだしたのか、はたまたマチュメの耳が楽器自体の調整を変えたのか、そのどちらしか考えられない。しかしわたしは後者であると思う。すなわちマチュメが自国の土俵ではなく西洋化された日本にあって、ましてやクラシック音楽の演奏家とのコラボレーションもした後とのことだったので、彼の耳の感覚に変容があったのだと思うのだ。
マチュメは彼自身の出自、チョピの民(Chopi族はバントゥー語群に属される、現在ではモザンビーク南部沿岸部に生きる先住民族)の主要な楽器であるティンビラ以外に、やはりモザンビークでよく使われるンビラ(親指ピアノ)とシテンデ、おそらく日本ではビリンバウの名で知られている一弦楽器も演奏する。ンビラとシテンデは音圧がティンビラに比べると低く、音自体の柔らかさが印象に残るが、ティンビラのそれは、倍音の幅と音自体の強さ(木片を叩く=打楽器的役割)が印象に残る。西洋楽器の音に慣れている耳だと、ンビラとシテンデ+西洋楽器の音の重なりのバランスがよく、ティンビラよりも違和感がない。逆にいえばだからこそティンビラの音にマチュメが奏でる音楽の魅力があるとも言えるのだが。
マプトではマチュメ以外にもミュージシャンとの邂逅に恵まれた。モザンビークに帰化したフランス人、ヴァンソンの家でもセッション〜録音を始め、何度か通ううちに彼の奥さんが豆の煮込み、フェジョアーダを振る舞ってくださった。この料理はモザンビークではほぼ日常的に食べるものだが、起源はどこだろう?
フェジョン(フェイジャオン)=豆
フェジョアーダ=豆と肉の煮込み
どうやらポルトガル語圏旧植民地であるブラジルやアンゴラ、東ティモールなどでも日常食であるそうだ。お肉を入れない豆のみの煮込みの場合はフェジョンと呼ぶのだと知った。レストランや家庭料理でも牛のスネ肉やソーセージ、豚肉が入ったフェジョアーダをたびたび食べたが、家庭料理や女性たちが路上で売っているもの、はたまた漁師たちの朝ごはんでは豆のみだった。メインにもなり、また添え物としても機能する。何より栄養価が高い。
食感と風味。思い出したのは、フランス南部の郷土食であるカスレだ。スパイスを入れずに煮込めばまさにそれ。起源と発生。音楽同様、同じ食材を調理し食することを楽器を奏でること、装飾される音やイントネーション、リズムの違いをスパイスと捉えれば、食と音楽は人類の共通項だと思える。
金時豆や小豆、白インゲンなどの一種類の豆 150g(大豆、レンズ豆以外の大きめの豆類)/玉ねぎ 小1個/トマト1個/にんにく1片/ローリエ1枚/パプリカ大さじ2/あればサフラン小1/塩大さじ1/胡椒少々/油(オリーブ、サラダ油、ピーナッツ油等)大さじ1/ブイヨン (固形1個あるいは顆粒1袋)
【1】1時間ほど豆を水に浸しておく(できれば一晩)。
【2】水を取り替え、豆がかぶる量の水を加え、蓋をして40分ほど加熱する。
【3】別の鍋に油を入れ、みじん切りにした玉ねぎとにんにくを中火で透き通るまで炒める。
【4】3に細かく切ったトマト、2の豆も入れ炒め合わせる。
【5】豆が浸るくらいに煮汁とスパイス、塩、固形あるいは顆粒のブイヨンを鍋に入れ煮込む。途中煮汁(あるいは水)を加え豆に水分がある状態で煮込み仕上げる。
時短でするならば煮込みの段階で圧力鍋を使ってもいいだろう。
使う豆によって色合いも変わる。ピリピリと呼ばれる生唐辛子とレモン、塩、油を合わせた発酵辛味調味料をつけながら食してもいいが、あらかじめ少量のチリペッパーを入れるとアクセントがつく。豆のでんぷん質によりとろりとした仕上がりとなり、ごはんにかけ、あるいはチャパティという薄いパンにつけながら食す。
ほっくりと煮込んだ豆にうまみが染みこみ、日本の豆料理にはない食感がたまらない。
文頭で記した地雷除去に始まり慢性的に起こる豪雨、サイクロンによる洪水をはじめとする水害や、武装勢力による襲撃で土地を奪われ難民となる人々。モザンビークでは恒常的な人道支援機関の支援が必要だ。安定した“生きる営み”、すなわち生活という当たり前の権利を危うくされている人々の状況を日本で想像することは難しいであろうか。
不安定な情勢を内包した国に生きるということ。
外務省ではレッドゾーンに指定されている北部、カボ・デルガード州へ滞在する機会があった。最南の首都マプトとは民族が異なり、ここはマクア(Makua族:モザンビーク北部からタンザニア南部にかけて暮らす先住民族)の人々が住む。滞在したペンバという海岸沿いの街は漁業に従事する人が多く、いわゆる漁師村が点在する。
そこで知り合ったミュージシャンたちが伝統楽器と呼ばれるものを奏でる姿は見て取れなかった。内戦の影響下、伝統と呼ばれるものはこうも消失してしまうのか。唯一体験した地元の楽器は打楽器の太鼓と椰子の葉を編んで作られた足首につけるマラカスで、それらは女性たちが演奏するものだった。そう、マクアの人々は母系社会に生きているのだ。週末ごとに彼女たちは海岸に出ては楽器を鳴らし、大いに踊り、列をなして演奏しながら村に帰っていく。
USAIDが過去に作った文化施設では、楽器を奏でるアトリエが開かれているものの、2025年トランプ政権下で支援が停止されたため、新しく作られた伝統楽器はロッカーに収められたままになった状態をみた。一方で欧州支援団体が音楽教育としてペットボトルなどの素材で作るティンビラを演奏する子どもたちの姿があった。
そこでは学校に通える子どもと通えない子どもの格差が明確だ。道に座り一日を過ごす子等を前に、今北部で起こっていることを肌身で感じた。それは、ある国の国益が他国の資源から成り立つ世界であり、その構造が資源産出地域に生きる人々の人権問題を生んでいるという事実だ。特にモザンビーク北部カボ・デルガード州沖合は世界最大級の天然ガス田といわれており、このモザンビークLNG開発プロジェクトを主導するのはフランスのエネルギー大手企業トタルエナジーズ。日本の企業も名を連ねている。
目下このプロジェクトには各国政府による公的支援として、国際協力銀行(30億ドル)、日本貿易保険(20億ドル)、英国輸出信用保証局(11.5億ドル)、アトラディウスDSB(10億ユーロ)、英国輸出入銀行(47億ドル)イタリア外国貿易保険(9.5億ドル)、南アフリカ輸出保険公社(8億ドル)タイ輸出入銀行、アフリカ開発銀行などの資金が入っている。このほか連なる民間銀行団の名を見れば、このプロジェクトが官民一体で行われていることがわかる。産出国である当のモザンビーク政府は国益になると意気込むが、果たして国民一人一人の安定した生活レベルの底上げにはなるだろうか。
2021年以降、武装組織が頻繁に北部の町を襲撃した。その町とはまさにLNG開発の拠点となる地域で、これら襲撃は明らかに対プロジェクトとしてのものであることがわかる。ペンバ空港からマプトに戻る際、駐機された小型機、あるいはヘリコプターに乗り込む「TOTAL」のロゴが入ったキャップを被った労働者たちを見た。その姿は、ギュスターヴ・エッフェルが設計したマプト中央駅舎から南下し国境を越え南アフリカへ出稼ぎに行くモザンビークの鉱山採掘労働者たちの姿と重なる。帝国主義が生んだ惨禍を経て、我々は資源利用の公正なあり方をようやく学んだはずだ。にもかかわらず今また、資源が生む富が地域社会には還元されない仕組みと環境への配慮の欠落が見て取れる。
不安定さと複雑さ。外部の武力介入。その武力支援元とは……?
北部の町ペンバ市にはいくつもの国際支援機関の車が走り、空港前にある支援物資保管場所から医療物資、生活物資などが約300km弱離れた地域に運ばれる。2025年12月の襲撃では10万人近くの人々が難民となってしまったという。
難民。水もなければ屋根もない空間で生きることを余儀なくされるということ。開発側は武装勢力とどのような交渉をしたのだろうか。2026年1月、トタルエナジーズはいよいよモザンビークLNGエリア1プロジェクトにおける陸上・海上すべての活動を全面的に再開したという(参考:「モザンビークLNG:日本の官民による多額の支援が現地にもたらしている深刻な環境・人権リスクの実態」国際環境NGO FoE Japan)。
そんな現実を受け止めながらも、ある日から私の日課は朝5時に海岸へ行くこととなった。男たちは海へ、女たちは浅瀬で蚊帳を広げ小さなエビの漁をし、干潮の日には砂の中から小さな貝を採る。はたまた漁から戻る男たちの朝ごはんを作り、海岸で待つ姿に出会う。そこには常に子どもたちの手伝う姿がある。
ここでもフェジョンは毎朝の定番だった。30円くらいだろうか。

漁師以外にも早朝働く男たちが海岸で食す乾燥マンゴと魚のソース。

モザンビーク北部、Pembaの漁村での朝食で食すフェジョン
海でも近くの畑でも、朝9時にはおおよその仕事を終え、家の中、あるいはバオバブの木陰で一日を過ごすこととなる。なにせ日中の暑さは野外での仕事には適さない。
今もって不安定な情勢が続く地域――。
しかし、もし未来というものがあるならば、アフリカこそが持続可能で気候変動に強い未来の姿なのかもしれない。アフリカという人知では計り知れない自然環境のもとで人類という種の発生から人々が生き存えてきた事実を、未来と思わずにはいられない。
エコーとコモン。
地球上に生きるからには彼らの命の尊厳と今日の我々の命が響くことを願いたい。
最後に、マチュメとUKのバンジョー奏者Kate Griffinが2024年に制作したアルバムのライナーノーツを掲載したいと思う(https://kategriffin.bandcamp.com/album/tchopo)。
チョピの民として、音楽文化を記録として残し、現在という今を生きる演奏家たちの更新される音楽世界を聴きながら――。
Tchopo -楽器と共にある人類-
冒頭爪弾かれるバンジョー、その一音がかつての大西洋を往来し、歴史を乗り越え今アフリカ大陸南東、インド洋に面するモザンビークの伝統楽器であるティンビラとFusing 融合する。筆者は2023年春、初めて訪れたモザンビークの首都マプトでミュージシャンのマチュメ・ザンゴと出会った。すぐに彼のスタジオでセッションが始まった。その際彼が迎えに来てくれた車の中で聞いたバンジョーとティンビラのグルーヴに興奮した。それは本作品“Tchopo”のイントロだった。
ケイト・グリフィンとマチュメ・ザンゴによる“Tchopo”は2020年、そうあの時間の中で生まれた。様々な日常がインターネットを介し融合した時間とも言えるだろう。彼らはオンライン・レジデンス「Making Tracks international residency」に参加し、伝統音楽と現在の両方に対する自分たちのアプローチを確かなものとした。
後にEFDSS=English Folk Dance and Song Society(英国民族舞踊民謡協会)、イングランド芸術評議会が主宰するDYCP=Developing Your Creative Practiceからの助成を受け、改めてアーティストレジデンスを開始した。そして2024年、ケイトが拠点を置くシェフィールドを拠点にUKツアーを成功させ、今まさに彼らの音楽がわたしたちの耳に届くところだ。
ケイト・グリフィンはアートの二面性を持っている。片方に写真家、ビジュアルアーティスト、そしてもう片方にバンジョー奏者。父親がカントリーのミュージシャンだったため自然とバンジョーを弾くことになる。2018年、パートナーであるフォード・コリアーと共にFolk集団「mishra」を結成し2019年にデビュー・アルバムをリリース。2021年現在、彼女は欧州公演で絶賛されたネオ・フォーク・バンド「ザ・マグピーズ」の一員としても演奏している。国際音楽交換プログラムMaking Tracks international residency 2020年のフェローであり、バンジョーの名手Dan Walsh ダン・ウォルシュは「国内トップのバンジョー奏者の一人である。」と表している。5弦バンジョーDeering Vega、オープンバックを弾いているものの、チェロバンジョーの深く温かい音色も大好きだという。
バンジョーの歴史を紐解くと、フランスの文化人類学者アンドレ・シェフネルが現地調査の際にアフリカ起源であることを1925年に上梓された『Le Jazz――始原のジャズ』(昼間賢訳、みすず書房、2012年)の中で明確にしている。その発祥は西アフリカ、セネガンビア地方、現ガンビア・セネガルのジョラの民が演奏しているエコティングにあるとされている。アメリカ人音楽学者Scot Linfordが現地伝統演奏家の演奏を録音し、近年Ears of the People: Ekonting Songs from Senegal and The Gambiaというアルバムにまとめている。奴隷制度時代に大西洋を越え、カリブ海〜ニューオリンズへと北上する。近年バンジョーとアフリカンミュージシャンとの試みを、バンジョー奏者のBéla Fleckは42曲、4枚のCDと重厚な解説本、Throw Down Your Heart: The Complete Africa Sessions として発表している。もちろんアイルランド、イングランドはじめ地域音楽にとってのバンジョーの存在その音楽を語るには枚挙にいとまがない。
楽器が導く音楽の旅。そしてマチュメ・ザンゴは過去数回に亘り日本へ来日しており、すでに各国で様々なミュージシャンと共演、またチョピの民族学的研究を並行し制作を行っている。自己同一性としてのチョピ人であること。彼のリサーチは逐次更新されており、モザンビークの環境、政治、人々の生きる世界を音を介してYout Tube等で発表している。そして彼はその調査過程としてのソロアルバムを録音し終わったところで、マスタリングを待つのみだ。ティンビラとは所謂シロフォンであり、筆者は西アフリカブルキナファソ、グワンの民が奏でるバラフォンとの共演によって、木片と瓢箪その構造からなる倍音の響きに魅了された(『旅する音楽』せりか書房、2016年)。グワンのものはペンタトニックで、構造こそ似ているものの、しかしマチュメは、ティンビラとバラフォンは違うものだと言う。ひとつ共通項があるとするならば、楽器という神聖な共鳴体は、彼ら、そして我々自身でもある人類の記憶を内包していることだ。
各々のオリジナル楽曲には英語、そしてチョピ語での歌詞が加わる。ケイトの楽曲名は英語なので敢えて訳さないが、チョピ語の解説をマチュメは以下のように解説している。1. Milholo : 私たちの日常の中で目にする人生の驚き、それは詩的なもの。
2. Matilweni : 空の中でどうやって語ろうか。
4. Mgueniso : ティンビラによる合奏が流れる中ダンサーが踊り始める場面。
5. Tchopo : 思春期の男の子や女の子が集まって踊るダンスの一種、またその甘い時間のこと。6曲からなる楽曲全体でマチュメはティンビラを演奏するが、最後の曲ではンビラが登場する。あの独特の軽みと連続するリズム。親指ピアノと日本語では訳されることが多いが、ピアノが打楽器である始原的要素をンビラから聴きとることができる。そして、西洋のピアノは一人では到底移動できない代物だが、アフリカにあって楽器すべては移動と携帯性に富んでいる。だいいち黒鍵と白鍵の区別はない。
そう、軽さ。重力からの解放と楽器が導く人類の変遷。バンジョーとンビラの交わりがアルバムの終わりを告げるが、きっと耳の奥にはずっと融合的音が響き続くことだろう。
ケイトとマチュメ。楽器と共にある人類。負も正も内包し今、このアルバムの中には刻まれるリズムの上で旋律がなびき、その音の輝きにわたしたちは微笑む。
これが、彼らの創る共生という方法だ。
――仲野麻紀 (サックス奏者)
《バックナンバー》
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〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
〈11皿め〉風を探す人々――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――
〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
〈13皿め〉ジョレスの鍋――マッシュルームのスープ――
〈14皿め〉国に生きる、歴史に生きる――オスマン帝国の肉団子、キョフテ――
〈15皿め〉消される民、消える文化――ウイグルの肉包みパイ・ゴシュナン――
〈16皿め〉サン=バルテレミー島 干鱈の揚げものアクラ――民衆の音、贄を海辺で燃やす――
〈17皿め〉葡萄の葉の詰め物――シリア故郷喪失 ただここに鳴る音――
〈18皿め〉遠くのそば粉、近くのそば粉――ブルターニュから、ガレットとキカファースを――
〈19皿め〉赤い甘さと白いしょっぱさ。切ることと混ぜること、楕円と丸――ピアニスト、オー・ソロモンが教えてくれたスイカのサラダ――
〈20皿め〉宇和島のさつまと麦味噌――南予のピアノ、土地から生まれる甘味――

