掌の美術論
第4回 機械的な手と建設者の手
手が勝手に動いて、思いもよらないような線を描くという体験は、誰にでもあるはずだ。幼い子供はある段階から、線を描きながら、その線に意味を与えていくことができるようになる。丸のようなものを描く。そして子供はそこに、順番に名前を与えてく。「このまるはたまごだよ。たまごじゃないよ。さなぎだよ。さなぎじゃないよ。なまえなの」。
コヨーテ歩き撮り#176
雪解けの季節、この上ない清浄感の奥入瀬渓谷。 The Valley of Oirase with its supremely pure air in the thaw season.
あとがきたちよみ
『 歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』
「あとがき」を公開しました。
あとがきたちよみ
『質的研究アプローチの再検討――人文・社会科学からEBPsまで』
「序章 なぜ質的研究アプローチを再検討すべきなのか」「編者あとがき」を公開しました。
夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
㉒アントレプレナーの資金調達(3)
資金調達には前回までにお話した間接金融と今回お話する直接金融があります。今回は直接金融の中でも「出資」に焦点を当てて話を進めます。「出資」の構造を明らかにし、出資提供側の論点を整理します。
コヨーテ歩き撮り#175
春の一日、ノースロップ・フライ先生に会いに行った。20世紀最大の文芸批評家のひとりが、ずっとこのベンチにすわっている。 On a warm day in Spring I went to see Professor Northrop Frye at the University of Toronto. One of the greatest literary critics of our time is forever sitting on this bench.
掌の美術論
第3回 自由な手
近現代美術の中に登場する「手」は、しばしば観察者の知覚を裏切るような現実を私たちに突きつけてくるものであるからこそ、重要な位置づけを与えられてきた。 もちろん手のかたちは、昔から絵画や三次元的な造形物のモチーフに使われた。身体の一部の型取りやそのイメージを奉納する古くからのヨーロッパの習慣において、手もまたその対象であったし、キリスト教美術の伝統では「神の右手」は、人間の眼で知覚することができない神聖な存在を換喩的に表象するイメージであった。フランス王家において王権の象徴(レガリア)とされたものの中には、「正義の手」と呼ばれる王笏がある。また芸術家による手のモチーフだけの習作も、決して珍しいことではない。
あとがきたちよみ
『道徳的知識への懐疑』
「まえがき」「序章 道徳懐疑論にむけて」(第1節)を公開しました。
コヨーテ歩き撮り#174
台北に程近い川の港町、淡水。なぜか強烈になつかしくなることがある。 Tamsui is an old river port town near Taipei. Nothing there is extraordinary, but somehow it makes you yearn to go back.
あとがきたちよみ
『知財とパブリック・ドメイン 第3巻:不正競争防止法・商標法篇』
「第1 章 プロ・イノヴェイションのための市場と法の役割分担:インセンティヴ支援型知的財産法の意義」冒頭、「あとがき」を公開しました。
あとがきたちよみ
『知財とパブリック・ドメイン 第2巻:著作権法篇』
「第4 章 ダウンロード違法化拡大になぜ反対しなければならなかったのか?」前半を公開しました。
コヨーテ歩き撮り#173
ずいぶん長いあいだ海から遠ざかってしまった。今年はこんな海へ。 I’ve been away from the sea for some time. Time to go back to one of those island waters.