ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 02〉人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか
〈CASE 02〉 人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか 一刀両断には結論を出せない報道の現場で直面する難問を、実際にあった事例をもとに問い直していく連載の2回目です。前回に続き、人命が危険にさらされる場面で起こった問題にどう向きあうのか、従来的な視点から一歩踏み出して考えます。
コヨーテ歩き撮り#9
車が5月の川みたいに流れて。みんな、どこに行くんだろう。
めいのレッスン ~えとーてむ
シンガポールに出張してきた友人と会った。
あとがきたちよみ
『テクストの擁護者たち』解題
監訳者による解題ページを公開しました。
めいのレッスン ~まわりにたくさん
雷の音がずっとしててね。 いくぶん唐突にサイェは話しだす。 いつものように。
あとがきたちよみ
『ネット炎上の研究』はじめに
「はじめに」ページを公開しました。本文の一部も特別公開です。
コヨーテ歩き撮り#8
読めない文字にみちびかれて、祈る人の心を想像する。
めいのレッスン ~小さな店で
新しい店なのに、前から知っているような。 カトラリーは真新しいのに、壁や天井や柱やカウンターは手の感触がある。 工業製品、ではなく、手作業の、か。
虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第1回 はじめに(1)フィクションの価値低下のなかでフィクションを問うこと
インターネットに代表されるこの20年の技術の進展は、生活環境を大幅に改変し、これまで以上にわれわれの身の回りは技術に「侵食」されつつあります。そうした状況では、一見するとフィクションが成立しにくくなっているように思われます。はたして、いま、フィクションは必要とされているのでしょうか。必要とされるのであれば、なぜ必要とされるのでしょうか。本連載では、この大きな問いに、SFアニメという軸を設けて深く考えていきます。2010年代の「フィクション論」はじまります。
