連載・読み物

憲法学の散歩道
第27回 ボシュエからジャコバン独裁へ──統一への希求

 ジャック・ベニニュ・ボシュエは、フランス絶対王政のイデオローグとして知られる。  ボシュエは1627年、ディジョンの司法官の家柄に生まれた。イエズス会の教育を受けた後、メスの司教座聖堂参事会員となった彼の説教師としての声望は次第に高まり、1669年にコンドムの司教となり、さらに1670年にはルイ14世の王太子付きの指導教師となった。1680年に指導教師の務めを終えた彼は、1681年にモーの司教となった。マルブランシュ、ピエール・ジュリウー、フランソワ・フェヌロン等と論争を繰り広げた彼は、「モーの鷲l’Aigle de Meaux」と呼ばれた。……

憲法学の散歩道
第26回 『アメリカのデモクラシー』──立法者への呼びかけ

 アレクシ・ドゥ・トクヴィルは、ノルマンディーの貴族の家系に生まれた。両親はフランス革命時の恐怖政治下で投獄され、ロベスピエールの失脚がなければ処刑されるところであった。父親は王政復古後の体制で各地の県知事(préfet)を歴任した。  トクヴィルは、3人兄弟の三男として1805年に生まれ、パリ大学で法律を学んだ。1827年には、陪席裁判官(juge auditeur)に任命されている。司法官としての彼の経歴は、1830年の7月革命で中断される。  神の摂理により、フランスにおける権威のすべては国王の一身に存すると前文で宣言する1814年憲章に代わって、1830年憲章は、フランス人の王(Roi des Français)は即位に際し、両院合同会議において、憲章の遵守を誓うものとした(65条)。権力の重心は、王から代議院へと移った。  やむなく新体制への忠誠を誓ったトクヴィルは、しかし、自費でアメリカの行刑・監獄制度の視察に赴きたいと上司に願い出た。……

コヨーテ歩き撮り#149

ハイラインを歩いたのもずいぶん前。廃線になった高架鉄道の線路を公園にした、ニューヨークならではの着想。チェルシー地区。いちどは住んでみたかったけど、もうあきらめた。 It’s been a long time since I walked the High Line, the elevated park made out of a discontinued railway in Chelsea, Manhattan. Oh, how I wish I could live in the neighborhood. Sadly, it will not happen in this lifetime.

憲法学の散歩道
第25回 「見える手」から「見えざる手へ」──フランシス・ベーコンからアダム・スミスまで

 18世紀半ばに『法の精神』を刊行したモンテスキューは、当時のイギリスをモデルとして、自由を確保すべき国制について大要次のようなことを述べている。  国の統治権力は立法・司法・行政の3権に分類できる。このうち2権以上を1つの国家機関が独占すると専制がもたらされ、人々の自由は失われる。そうした権力の集中を防ぐ必要がある。  ただ、この消極的原理だけでは不十分である。立法作用は他の2権をコントロールすることができる。専制的な立法が行われないような仕組みが必要となる。……

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