連載・読み物

夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
㉖起業家教育が目指すこと(2)

「起業家教育が目指すこと」の第2回は、著者がかつて学んだ米国バブソン大学経営大学院での教育をもとに、「起業態度有り」から「起業活動有り」への移行はどのようにすれば可能か、を展開していきます。起業を考える人たちへのヒントとなれば幸いです。

憲法学の散歩道
第36回 刑法230条の2の事実と真実

 今回はややこしい話なので、短めに済ませることにする。刑法230条には、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する」とある。表現の自由との関連で、憲法学でもおなじみの条文である。『広辞苑』によると、「摘示」とは、「かいつまんで示すこと」である。隅から隅まで逐一にというわけではなく、要点を示すということであろう。……

掌の美術論
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して

大学の夏休み期間を利用したフランスでの在外研究から帰国した後、職場のポストを見ると、同僚の加治屋健司さんからご献本いただいた『絵画の解放――カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』が投函されていた。この本についてはまた別の機会に別の媒体で書評を記す予定である。

By |2023-11-22T12:36:02+09:002023/11/27|連載・読み物, 掌の美術論|

掌の美術論
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)

この連載では数回にわたり、美術史家における「触覚」をめぐる著述を紹介している。前回の記事から取り組んでいるのが次のような問いだ。すなわち、芸術理論が作品分析という実践に移されたときに、どのように特定の概念はオリジナルの意味からずらされていくのだろうか。具体例として扱っているのは、ジル・ドゥルーズの『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(1981年)である。

By |2023-11-19T17:41:37+09:002023/10/26|連載・読み物, 掌の美術論|

夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
㉕起業家教育が目指すこと(1)

起業家教育は起業活動を活発にするために、また、起業家に対する評価を高めるために必要なものです。では、起業家教育とはどのようなものでしょうか。今回は、起業家教育が期待を裏切ってしまうような結果に終わるのはなぜか、求められる起業家教育とは何か、を考えていきます。

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