死を内蔵する遊戯場
前回の記事の冒頭で取り上げた、イサム・ノグチの宇宙のようなヴィジョンについて、松木はその研究書で重要な指摘を行なっている。ノグチは1940年代に、空から見た風景を浮き彫り彫刻にした「大地のレリーフ」シリーズを制作している。それは「爆撃された大地や傷ついた肉体」と関連づけられるような「空爆の風景」であった、と松木は言う。例えば1943年の浮き彫り作品《私のアリゾナ》には、アリゾナの砂漠にあった、自らを閉じ込めていた収容所の記憶と、日本軍の攻撃で真珠湾に沈んだ戦艦アリゾナに象徴される日米開戦の歴史という、二つの過去が重ね合わせられているというのだ*1。だが戦中に現れた死と結びつくこのイメージはやがて、詩的なデザインへと昇華されることになる。ここからノグチによるプレイ・グラウンドの構想までの道のりは、そう遠くない。すなわち、彼の宇宙的ヴィジョンのうちに立ち現れるユートピアは、実は死が存在しない場なのではなく、すでに生けるものが死滅した世界から出発するようなゼロ地点の遊戯場だったのだ。この遊戯場の根底にあるのは、誰も生きたことのない宇宙ではなく、かつて人間が生きていた大地の墓だったのである。
墓の上で遊ぶということは、死者とともに生きるということだ。芸術という遊戯の中に立ち現れてくる聖なるものの亡霊に注目したフランスの美術史家ディディ=ユベルマンは、そのボルタンスキー論の中で、死者とともに生きるのに二つのあり方があると述べる。一つは「精神の病へと沈むこと、喪の悲しみ、無為のなかで立ちすくみ、身動きできなくなること」。もう一つは「遊び、動き、自身にとりつくものとダンスし、作業をすること*2」。その上でディディ=ユベルマンは、手元の道具を用いてナチスの収容所を想起する作品を制作するボルタンスキーを、後者の芸術家であるとした。ボルタンスキーはあえて「貧乏くさい」素材を好み、アトリエの壁に絆創膏で十字架を作って宗教儀礼を演出する子供のような大人である*3。彼は死のように「重々しいもの」すら、「子供にもっともふさわしい、もっとも素朴な(つまりもっとも生来的な)状況へと置き直す*4」。このようにしてディディ=ユベルマンは、ボルタンスキーの作品を、ボードレールが「玩具のモラル」で語った「貧しき者の玩具」に喩える。
巨大な大地の墓を遊戯場に変えてしまうノグチもまた同様だ。あるいは、「貧しき者の玩具」を人々に提供し続ける中で、《ゲルニカ》という歴史的悲劇を題材にした絵においてすら、あえて見る者の(没入ではなく)参与を求めるような仮説舞台を築こうとしたピカソにも、どこか類似するところがある(前回の記事)。ボルタンスキーとノグチ、そしてピカソ、三人の作風こそまったく違えど、その振る舞いは似ている。
「おもちゃのユートピア」を論じるこの記事の中編では、死を内蔵する遊技場というテーマに深く関連する議論として、遊戯と聖性、芸術との関係を論じたホイジンガの『ホモ・ルーデンス』とそれへのいくつかの応答を紹介する。とりわけ『ホモ・ルーデンス』を批判的に継承する議論から発展したアンドレ・シャステルやジョルジョ・アガンベンの著述は、聖なるものと戯れる芸術家の振る舞いを理解する上で重要な鍵となるだろう。
聖なるものと戯れる――ホイジンガを介して
聖なるものとの接触を試みる儀礼と遊戯、そして芸術との繋がり。興味深いのは、それまでもすでに論じられていたこのテーマが、ちょうど《ゲルニカ》が制作されてからノグチが巨大墓地を遊戯場に変えてしまうまでのあいだ、つまりファシズムが台頭し第二次世界大戦が勃発する時期に、分野を超えて大きく注目されるようになっていた点である。なかでも人々にインパクトを与えたのが、ホイジンガが1938年にオランダ語で出版し、その後各国語で翻訳された『ホモ・ルーデンス』だった。この本の中でホイジンガは、死への恐れと不可分の関係にある宗教儀礼が、何らかの規則によって日常世界とは異なるいっときの完結した世界をもたらす点で、遊びと共通することを指摘した*5。こうした点が戦術や韻律の規則、訴訟にまで認められる構造であることを示しながら、ホイジンガは、芸術活動も含む人間の諸々の文化活動が遊びの中でこそもたらされるのだと結論づけた。
一見学問的好奇心から書かれたかに見える『ホモ・ルーデンス』は、著者によるファシズムへの抵抗とも無関係ではない。第5章「遊びと戦争」では侵略戦争に対する批判的なスタンスが貫かれた。最終章「現代文化のもつ遊びの要素」で著者は、スペクタクルにより大衆のヒステリックな反応を引き出す行為を、「故意に育成された遊びの形式によって特定の目的を実現する企てを隠すための偽りの仮面の装い」、つまり偽の遊びでしかないと断じた*6。明らかにナチスのプロパガンダ政策を批判するこの主張の延長線上に、私たちはギー・ドゥボールの1960年代のスペクタクル社会との闘いを見ることになる。『ホモ・ルーデンス』の熱心な読者であったドゥボールは、今度は純粋な遊びの要素を取り戻す遊びを実践すべく、チェスに似た「戦争ゲーム」というボードゲームを60年代に考案している。それは、過去の戦術に関する知識を必要とせず、未来の戦争にも役立たないゲームとして考案され、仲間内で遊ばれた*7。あらゆる規則と制御を超える二つの近代戦争を経る中で、遊びは、尊厳と主体性、そして功利主義や権力による圧政に反抗する力とを、個々人の手に取り戻させうる活動として、関心を集めていたのである。
だがホイジンガの議論の射程は広範であるがゆえに、遊戯が何であって何ではないのかという点に関して多くの異論が寄せられた。とりわけ遊戯がどこまで聖なるものや宗教儀礼と同一視されるのかという点に関しては、『ホモ・ルーデンス』を批判的に継承する人々によって、戦後すぐに否定的見解が示された。言語学者バンヴェニストは1947年に、ホイジンガの著書に反応を示す文章「構造としての遊び」を発表した。バンヴェニストによれば遊びとは、世界のうちに存在しながら現実の諸条件を無視した独自の限界と条件の中で展開するものであり、「遊びの現実性(réalité de jeu)*8」と彼が呼ぶ固有の世界を作る点で、聖なる世界との接触を試みる儀礼と共通している。ただバンヴェニストは両者の違いも強調する。遊びは熱狂と解放をもたらすが、聖なるものは緊張と不安をもたらす。両者は似てはいても同じものではない。神話に欠けた儀礼としての遊戯は、内容を欠く形式化された儀礼のコピーに他ならない。儀礼を伴わない神話もまた、内容的にではなく形式的にのみコピーされ、言葉遊びへと約められることになる*9。
思想家カイヨワも三年後に、その著書『人間と聖なるもの』(1950年)に付録として掲載した文章「遊びと聖なるもの」の中で、バンヴェニストの批判に賛同を示した。カイヨワは、日常生活と切り分けられる遊びと儀礼の共通性に注目しながら、規則によって守られた慰安や気晴らしである遊びと、完全にコントロールできるわけではない緊張感をつねに孕んだ聖なるものを切り離す必要性について言及している*10。続いてカイヨワは『遊びと人間』(1958年)において遊戯をその性質により分類して議論する必要性を主張し、『ホモ・ルーデンス』との批判的対話を発展させた。
1950年の著書に掲載されたカイヨワの書評に続き、バタイユは翌年、『批評』誌に『ホモ・ルーデンス』の書評を寄稿した。彼は儀礼と遊戯の密接な関係に賛同を示しながらも、文化的秩序において重要な役割を果たす禁忌に注目してみると、必ずしも遊戯と同一視できない側面が浮上することを指摘した。禁忌は近親相姦に対する恐れや、死者に対する敬意と恐怖を人々に植え付けるものであり、実利的な目的を持つ真剣な活動と、「有用性や真面目さを超えて私たちを駆り立てる度を越した動き」との「衝突」から生まれる*11。禁忌は俗なる世界と聖なる世界との危うい境界線でこそ生成するのだ。禁忌を含む聖なるものの規則は、人間が本来封じ込めることができないものを制限し秩序づける逼迫した必要性に応えるものであり、遊びが持つ数々の側面(規則の中でこそ得ることのできる解放感・有用性を度外視した活動・真面目さと不真面目さの境界を問い直す試み)とは相容れない。
遊戯場から玩具箱へ――シャステルとアガンベンを介して
では、芸術と聖なるものとの関係性についてはどうなのだろうか。一般には、近代以前は「芸術」という概念そのものが存在せず、造形文化は宗教と密接に結びついて発展したが、近代以降世俗化が進むなかで「芸術」概念も登場し、宗教的なイメージの権威は失墜したとされている*12。しかし実際には20世紀以降も、宗教的な造形が消滅することはなかったし、芸術が儀礼に完全に取って代わることはなかった。芸術はむしろ聖なるものの隠れ家となったと考える者もいた。例えばジュール・モヌロは1945年の文章『シュルレアリスムと聖なるもの』の中で、シュルレアリスムの実践のうちに、聖なるものに戦慄を覚えるような神秘的体験への「通路」を見出した*13。またジャン・ポーランは、「キュビスムの冒険は宗教の目覚めのあらゆる特性を与えてくれる」と、1956年の『プロフィル』誌掲載の記事「聖なる絵画」に記している。難解で謎めいた作品によって人々に宗教の目覚めをもたらすキュビスムの「熱心な信奉者たち」は、「神がなんであるのか、世界が何であるのか」を知っており、現代絵画によって「聖なるもの」に目覚めた人は、「ビストロで立ち上がり突然踊り始め、まだ誰も定かには理解することができない言葉で歌う、覚醒した無名の労働者」の一人となるのだとポーランが述べるとき*14、この「労働者」の踊りと歌は、既存の宗教的な体系とは何ら関わりがない。むしろミシェル・レリスが日常生活の品々のうちに見出した「聖なるもの*15」のように、まだ誰にも語り継がれておらず、誰にも共有されず密かに生み落とされ育まれた、私的な神話と通じている。つまり芸術という遊戯は、慣習化された宗教儀礼とは袂を分かちつつも、神話は完全にそこから失われてしまったわけではない、とするような見解が、しばしば認められるのだ。むしろ既存の宗教儀礼との断絶のうちにこそ、新たなる神話、人々の心を震わせ聖性の根源に触れさせてくれる新たなる振る舞いが生まれる可能性が、見出されたのである。
上記の議論を踏まえながら、前衛芸術と聖なるもの、そして遊戯の関係について包括的な視点を示す試みを行った最初の論考は、美術史家アンドレ・シャステルが1955年の『批評』誌に掲載した文章「現代美術における遊びと聖なるもの」である*16。近代化以降の西洋の芸術作品は、確かに宗教的な儀礼の一部をなしていた造形物がかつて担っていた宗教性を、失ってしまったのかもしれない。しかしキュビスムからシュルレアリスムに至る20世紀の美術運動のうちには、その根底に聖性がなにかしらのかたちで残存しているのではないかと、彼は考えた。聖性はシャステルによれば、作品そのものというよりもむしろ、芸術的な実践のうちに宿るものであった。
シャステルはカイヨワやバタイユ、バンヴェニストの先行する記述に倣って、気晴らしとして楽しめるような遊びと、「恍惚に対する願望や祈りや畏怖すべきものへの戦慄に支配されている聖なるもの」とを区別する。聖なるものとは、「言葉には言い尽くせない存在に対する感情からすべてが始まり、そして規定し難い「内容」にすべてが起因している」。これに対し遊びは、儀礼の規則を形式的に取り入れ、人間を「身振りでしか模倣し難い「超-現実的なもの」へと移行させる*17」。
だが20世紀の芸術家たちの遊戯じみた身振りのうちには、聖なるものの残余を見ることができる。例えばキュビスムのコラージュは、「崇高な祈願による断固たる取り組み方」ではなく、皮肉やユーモアがきいた「楽しげな創意工夫」である点で、宗教儀礼とは異なるが、それでもそこには「秘蹟、魔術的な事物、神秘に溢れた象徴を作り出すかのような、宗教的な分野における一種の模倣」が認められるのだと、シャルテルは述べる*18。またシュルレアリスムは、「多様な聖なるものの普遍的な遊びとの類似性を手掛かりに、イメージや言葉による小さな遊びを通じて、さまざまな表現の可能性を探索し、引き出そうと試みた」のであり、この意味で「笑いと聖なるもの」の双方を追求した運動として捉えられている*19。
もちろんキュビスムのコラージュもシュルレアリスムの実践も儀礼と同一視はできない。むしろ彼らの実践には「生きられた聖なるもの」が持つ「現実性と超現実性の劇化」と完全に一体化することを避けようとする傾向があることに、シャステルは言及する*20。従って彼は次のように結論づけるのである。すなわち、「結局のところ芸術は機能的な有用性とも、聖なるものとも、さらには遊びとさえも混同しえない」が、「同じ呼吸の中に互いが含まれるような個別の例を示す*21」。
つまり、作品そのものが聖性を帯びるわけではないが、それでも芸術的実践を通して事物と戯れる芸術家たちの、時に熱狂して激しくなり、時に緊張して息を潜める呼吸のうちには、聖なるものを前にした人々の息吹が宿っているのである。形式のみにも内容のみにも還元されない性質を持つ個々の芸術的実践の事例は、芸術を生きながらえさせることにつながる。だからこそ芸術家が取り組むべき課題とは、「芸術的な創造が技術的な意味での仕事に還元されず、また宗教や神秘思想的な意味での贖罪にも還元されず、さらには審美家や遊戯者の言う意味での無償性にも還元されず、しかもこれらの熱烈な要求に応えるものを実現すること」なのだと主張し、シャステルはこの論考を結んでいる*22。
あらゆる意味や機能の固定化を避けながらも、儀礼の模倣的実践としての遊戯の中でこそ、芸術の根源に息づく「聖なるもの」の「呼吸」を観測することが可能になるという、シャステルのこの主張には、アガンベンが展開した玩具についての議論に響き合うところがある。アガンベンは著書『幼児期と歴史』(1979年)の中の論考「おもちゃの国」において、遊戯が宿す聖なるものの「かけら」について論じた。遊戯とは、「聖なる時間から解き放たれ、それを人間的な時間のなかで「忘却」する*23」行為である。自動車やピストル、電気コンロといった実生活の事物をミニチュア化した玩具を用いた遊びも同様だ。それらは、かつては有用な道具、市場に流通する商品だったが、おもちゃとしてミニチュア化されるや否や、そうした実践的・経済的な領域の外に出る*24。聖なるものも、実生活の事物も、玩具になるや否や、オリジナルの文化的な意義や機能や形態は失われる。この点で、玩具は古遺物や記録資料とは異なっている。歴史的な史料が、長い時間を経て現在にまで伝えられることで、過去を現在化して生きている者たちに触れられるようにしてくれるとするなら、玩具は過去と現在とのあいだの差異が実体化したものなのであり、その差異に触れられるようにする*25。
にもかかわらず、玩具がモデルにした聖なるものや生活の事物が宗教儀礼や日常世界で持っていた意味(アガンベンが「事物のなかに含まれている歴史性*26」と呼ぶもの)は、玩具から完全に失われるわけではないのだと、アガンベンは述べる。曰く「人類の古物商」である子供たちが遊び道具として手にしているものは、「なくなってしまった世俗的な事物や振る舞いを保存している*27」。玩具は儀礼の祭具とは異なる。しかしそれを用いた遊びを通して、聖なる儀礼や実生活の行為に付随する振る舞いは、かつて存在したものの幽霊のように現れてくる。しかもアガンベンは、シャステルと同様、結局のところ遊戯と儀礼とは分かち難いものだと言う。なぜなら「あらゆる遊戯は一部儀礼を含んでおり、あらゆる儀礼は一部遊戯を含んでい*28」るからだ。
では、芸術作品についてはどうなのか。アガンベンはこの論考の中では、シャステルほどには、芸術の可能性についての明確なヴィジョンを示してはいない。遊びを終えた幼児は玩具には見向きもしないことに触れたうえで、アガンベンは、芸術の位置づけについて次のように手短に問うている。すなわち芸術的な領域は、儀礼や遊戯が終わった後に残余として脇に追いやられたこれらの「『不安定な』指示記号」としての玩具の「隠れ場所*29」なのではないか、と。
アガンベンの問いは、ベンヤミンが1928年のエッセイ「おもちゃとあそび」の末尾で発した問いと地続きのものだ。ベンヤミンはそこで次のように議論を進める。本物とは異なる安価な素材で模造された玩具は、それを用いて、儀礼的実践や日常生活の実践と同じ振る舞いをすることを可能にする。この反復行為が「このうえなく心をゆさぶる経験」を習慣へと変える一方で、古びた習慣の中にすら遊びが残存することになる。では、もはや遊び手がいなくなってしまった過去の玩具の中にも、心をゆさぶる経験を求めることはできるのだろうか。つまり、「ながめているうちに全世界が沈んでしまう、そういう絵はだれにでもあるものだ、とは近代のある詩人の言葉だが、ではいったいどれだけの人に、昔のおもちゃ箱のなかから、そういう絵が、たちのぼってくるのだろうか*30」。
アガンベンもベンヤミンも、これらの問いに答えを出してはいない。ここでは私たちがその問いを引き継がなければならないのだ。芸術作品とは、鑑賞のたびに意味や機能が変わる不安定な指示記号であるが、その性質を保ち続けることで遊戯の永続性を約束してくれる玩具たり得るのだろうか。芸術という領域は、そうした個々の作品が将来もまた遊びの対象となる可能性を残しておくための、よくできた玩具箱のようなものなのだろうか。私たちはそこに入っている玩具を使った遊戯と儀礼の振る舞いを、その身に引き受けることができるのか。
注
*1 松木裕美『イサム・ノグチの空間芸術 危機の時代のデザイン』淡交社、2021年、69-70頁。
*2 ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『受苦の時間の再モンタージュ』森元庸介・松井裕美訳、ありな書房、2017年、217頁。
*3 前掲書、220頁。
*4 前掲書、221頁。
*5 ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』里見元一郎訳、講談社学術文庫、2018年。
*6 前掲書、359頁。
*7 Emmanuel Guy, Le Jeu de la guerre de Guy Debord. L’émancipation comme projet, Paris, B42, 2020, p. 53-63.
*8 Émile Banveniste, « Le jeu comme structure » (Deucalion, no. 2, 1947), Langues culture, religions, Limoge, Éditions Lambert-Lucas, 2015, p. 179. バンヴェニストが参照したのは、バーゼルでドイツ語版で出版された『ホモ・ルーデンス』である。
*9 Ibid. , p. 181.
*10 Roger Caillois, « Jeu et sacré », L’homme et le sacré, Paris, Gallimard, 1950, p. 208-224(ロジェ・カイヨワ『人間と聖なるもの』せりか書房、1994年、229-245頁)
*11 Georges Bataille, « Sommes-nous la pour jouer ? ou pour être sérieux ? (I) », Critique, no. 49, juin 1951, p. 521-522.
*12 すでに19世紀初頭には、ヘーゲルが『美学講義』の一節で、「最高の形式」に達したギリシャ人の芸術においては、宗教的な観念や教えは芸術形式と完全に一致したものであったが、そうした精神性と芸術形式が乖離した結果、現代においては「ギリシャの神像がどんなに立派なものに思え、父なる神やキリストやマリアがどんなに崇高に完全に表現されても、[……]わたしたちはその前に跪くことはない」と述べている。ヘーゲル『美学講義(上)』長谷川宏訳、作品社、1995年、110頁。
*13 ジュール・モヌロ『シュルレアリスムと聖なるもの』有田忠郎訳、吉夏社、2000年。
*14 Ibid. , p. 53.
*15 Michel Leiris, « Le Sacré dans la vie quotidienne », La Nouvelle Revue française, le 1er juillet 1938, pp. 26-38(ミシェル・レリス「日常生活の中の聖なるもの」『日常生活の中の聖なるもの』岡谷公二訳、思潮社、1986年、15-33頁).
*16 André Chastel, « Le jeu et le sacré dans l’art modern » (Critique, nos. 97-98, 1955), dans André Chastel, Fables, Formes, Figures, tome 2, Paris, Flammarion, 1978, p. 489-518(アンドレ・シャステル「現代美術における遊びと聖なるもの」『グロテスクの系譜』永澤峻訳、ちくま学芸文庫、2004年、211-289頁). なおこの論文が再掲載された1978年の本の解題では、シャステルはこの論考にデュシャンが含まれていないことを欠点として挙げつつ、カイヨワやバタイユ、ジャン・スタロバンスキーがその後出版した数々の論考を踏まえればまた別の議論を展開することができたに違いないと、いくつかの反省点を記している。
*17 Ibid. , p. 509(邦訳、260-261頁).
*18 Ibid. , p. 513-514(邦訳、270頁).
*19 Ibid. , p. 515(邦訳、273頁).
*20 Ibid. , p. 514(邦訳、270頁).
*21 Ibid. , p. 518(邦訳、282頁).
*22 Ibid.
*23 ジョルジョ・アガンベン『幼年期と歴史』岩波書店、2007年、125頁。
*24 前掲書、126頁。
*25 玩具は「「かつては…であった」と「いまはもう…でない」とのあいだの純粋の隔差ないしはずれそのものを現在化し手に触れることができるようにする」。前掲書、128頁。
*26 前掲書、127頁。
*27 前掲書、125-126頁。
*28 前掲書、132頁。
*29 前掲書、142頁。
*30 ヴァルター・ベンヤミン「おもちゃとあそび 記念碑的著作への傍証」(1928)、『教育としての遊び』丘澤静也訳、晶文社、1981年、65頁。
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた
第16回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(前編)