Posts in category

ベルクソン 反時代的哲学

藤田尚志

 ベルクソンについてはあまりにしばしば非合理主義ということが言われてきた。「硬直した理性がしなやかな理性以上のものであることを望む」この度し難い偏見を脇目に、ペギーはすでにこう断じていた。「そうではなく、最も緻密で最も厳しいのが、しなやかな方法であり、しなやかな論理、しなやかな道徳であることは明らかである」 。ここから次のような問いが生じてくる。ベルクソンにとってこの種の新たな論理の探究が重要であったのだとすれば、なぜ彼はそれをはっきりと定式化せず、明確に規定しなかったのか?それが可能でなかったのだとすれば、それはいかなる理由によるのか?
 ベルクソンは、大胆な小説家ですらも、日常生活の論理の「根本的な不条理性」を「明示する」ことはできず、ただその「驚くべき非論理的な本性」を「推し量らせる」ことしかできない、と述べていた 。この意味で、メジャーな概念は明示しようとし、マイナーな論理は示唆しようとするものである。ささやかではあるが、厳密なマイナーな論理というものが存在する。この点をさらに詳らかにせねばならないとすれば、そのために、言語、とりわけ隠喩(メタファー)・イメージ・形象の問題に、つまりはベルクソンの「文体(エクリチュール)」という決定的な問題に取り組まねばならないことは今や明らかである。
(「序論より」)

0 0
ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 5月 08日, 2018 畑仲哲雄

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 20〉後輩の女性記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら

「取材先でのセクハラ」の「取材先」を「取引先」に置きかえて考えると、メディア企業に限らず同じ問題に直面する内容。どういうポイントを、どのように考えればいいのでしょうか。
*本連載の単行本化が決まりました! 連載では取り上げていないケースも加え、鋭意刊行準備中です。期待してお待ちください。[編集部]

Pages: 1 2

続きを読む
2 0
ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 4月 27日, 2018 仲野麻紀

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈1皿め〉

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。彼女は演奏旅行でミュージシャンだけでなく、いろいろな料理と出会います。料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、まさに人生の欠片。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

続きを読む
1 0
「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡 4月 26日, 2018 「名もなき家事」の、その先へ

「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol.05 思案・調整の分有と、分有のための思案・調整――足並みを揃えるための負担をめぐって/平山 亮

「名もなきケア責任」は今どう配分されていて、これからどう配分しなおせるのか――平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、今回は平山さんから山根さんへの応答です。[編集部]

続きを読む
1 0
連載・読み物 4月 23日, 2018 管啓次郎

コヨーテ歩き撮り#56

パリの街路、この光景を見て、ふと「サンドイッチ殺人事件」という言葉が頭に浮かびました。いったいなぜこんなふうに散らばって? 野良犬には格好のごちそうでしょうが、その配置が謎めいています。フランスではこうしたバゲットに具をはさんだものがサンドイッチ、イギリス風のサンドイッチとは用法がちがうようです。その場を離れると早速鳩が舞い降りてきて、パンの部分をついばみはじめました。

続きを読む