夢をかなえるための「アントレプレナーシップ」入門 連載・読み物

夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
㉖起業家教育が目指すこと(2)

12月 21日, 2023 高橋徳行

 
「起業家教育が目指すこと」の第2回は、著者がかつて学んだ米国バブソン大学経営大学院での教育をもとに、「起業態度有り」から「起業活動有り」への移行はどのようにすれば可能か、を展開していきます。起業を考える人たちへのヒントとなれば幸いです。[編集部]
 
 
 約30年前、起業意識がすでに形成されていて、これから起業家を目指す人を起業家に育成する大学院があると聞いた時は、正直言って驚きました。それは、この連載でも、時々登場するバブソン大学の経営大学院のことであり、U.S. News & World Reportでは2023年のランキングを含めて30年連続でアントレプレナーシップ教育部門において第1位を維持しています。
 
 それまで、政府系金融機関の融資担当者として、数多くの起業家と会ってきましたが、その中で誰一人として起業家教育を受けた人、少なくとも学校でそのような教育を受けた人はいませんでした。
 
 そのようなギャップに戸惑いながら、バブソン大学経営大学院に通い、その後、日本で学び直したことをもとに、今回は、第25回連載で紹介したB段階(起業態度有り)からC段階(起業活動有り)への移行をターゲットにした起業家教育が目指すことは何かを2回に分けて連載します。
 
一人前の技術者になれば……
 
 筆者と起業家との出会いは、現在の日本政策金融公庫、当時は国民金融公庫と呼ばれていた政府系金融機関の大森支店に在籍していた時です。正確に言えば、「起業家」という言葉ではなく、当時は「新規開業者」もしくは「新規開業企業」などと呼んでいました。
 
 大森は東京都大田区にあって、京浜工業地帯の中心であり、隣接地には蒲田もあり、町工場の集積地でした。今から振り返ると、大田区の工場数は1983年の9,177がピークであり、ちょうどその時に大森支店に在籍したこともあり、毎日のように新しく町工場を始めたい人が支店の窓口を訪れてきました。
 
 町工場を始める人の典型は、300万円くらいの貯金を自己資金として、当時の国民金融公庫から500万円の融資を受け、フライス盤か旋盤を1台購入し、体育館に間仕切りを施した場所かガレージのような場所を借りて、腕の良い職人ならば月に80万円~100万円の工賃、普通の職人でも月に60万円の工賃を稼いでいました。
 
 毎月、借入金の返済に多くても15万円(返済期間は3~7年に設定するケースが大半でした)、家賃や光熱費に10万円、その他諸経費に5万円を要しても、(普通の職人の場合)30万円ほどは手元に残ります。将来への夢もありますし、勤務時代の生活水準程度は十分に維持することができます。
 
 提供するサービスは勤務時代に蓄積した技術がありますし、マーケティングと言っても、仲間仕事、回し仕事と呼ばれるものがあり、勤務時代の評判があれば仕事の確保に困ることは滅多にありません。
 
 このように、社会的分業の深化の中で誕生した新規開業者が高度成長期からバブル経済が始まるまで、規模の大小は別として、日本の各地で、さまざまな業界や産業で生まれていました。
 
 例えば、東京都文京区が印刷・製本産業の集積地であった時は、印刷需要、製本需要の拡大とともに、写植機(写真技術を応用し、作業者の入力に応じて印画紙に文字を印字するための機械)一台を購入して、自宅の一角で新規開業する人が数多くいました。
 
 このような現象を図で表すと次のようになります(図表1)。業界・産業の発展とともに、点線の丸が大きくなり。その中で活動する企業規模も拡大しますが、既存企業で対応できないところまで仕事量が増えると、核分裂が始まるように既存企業と同じような業務を行う小さな企業が誕生し始めます。もちろん、新しく誕生する企業の中には、集積地の業界・産業関連企業のデータベースを作成するなど新しいタイプの事業に挑戦する新規開業もありますが、多くは既存企業とほぼ同じ事業を行う人たちでした。
 

図表1 業界・産業の発展と社会的分業の深化から生まれる新規開業企業

資料:筆者作成。

 
 このような環境下で、新しく事業を始める人に求められるものは、ひと言で言えば、技術力と500万円~600万円の外部資金です。新しいビジネスモデルも新規顧客開拓も必要ありません。つまり、大学や大学院で学ぶようなアントレプレーシップの授業は不要でした。
 
アントレプレナーシップ教育が必要な起業家予備軍
 
 しかし、既存産業が成熟期、衰退期に入ると、核分裂型の新規開業は次第に少なくなります。そして数多くの業界や産業が成長期を通り過ぎると、次第に一人前の技術者になるだけでは起業できなくなります。新しいマーケットを自ら作り出さなければならない、新しいマーケットのための新製品・新サービスを開発しなければならない、そして新しい新製品・新サービスを開発し、提供し続けるためには、新しい供給システムを作り上げる必要があります。
 
 つまり、図表2に描かれているような事業活動を営む上で必要な機能を最初から組み立てる必要に迫られます。
 

図表2 事業活動の構造

資料:筆者作成。

 
 子育て期のお母さんが、民間のシッター専門業者にサービスを依頼すると、あっという間に家計を圧迫してしまうので、子育てがひと段落したお母さん、まだまだ元気なシニアに1時間ワンコイン(500円)くらいで預けることはできないか、そしてそのようなサービスでお世話になった人の子育てがひと段落した後は、その人が他のお母さんの子供を預かる。そのような循環を生み出せないかと考えたとしましょう。
 
 このアイデアを事業の形にしていくのは、想像しただけでも大変なことがわかります。このサービスに対して需要があることを確信できても、このサービスを実際に使ってくれる人がどこにいるのか(顧客)、子育てを手伝ってくれる元気なシニアをどのように集めるのか(調達)、そもそもどのように知ってもらうことができるのか(マーケティング)、事業が軌道に乗るまでのお金をどのように調達すればよいのか(経営資源の資金)などなど、職人として独立する場合と比べて、やるべきことが圧倒的に多くなります。
 
 このようなタイプの起業が次第に増えてくると、多くの人は「起業家教育って必要かも」と思うようにあるのではないでしょうか。バブソン大学の経営大学院が教えていた起業家教育とは、まさに図表2で描かれたような事業活動を一から作りあげるために必要な教育でした。
 
 第25回連載で紹介した図を、図表3として再掲しますが、B段階(起業態度有り)からC段階(起業活動有り)に移行するために求められる知識を教えるための起業家教育です(図表3)。
 

図表3 2つの起業家教育

資料:筆者作成。

 
既存企業の新規事業とは違う
 
 新しい事業を作り上げるための教育であれば、既存企業が新規事業を立ち上げる手法が使えるのではないかと思われる人も多いと思います。
 もちろん、ある程度までは応用可能です。しかし、既存企業が新しい事業に挑戦する時に考えることの一つは、新しい環境下で成長し続けることですが、もう一つは、今まで培ってきたものを活用することです。
 
 つまり、図表2で示した事業の構造の中で、既存事業と共通して使える部分の活用です。例えば、農家への指導を徹底的に行うことで得られた良質の黒糖の調達能力を活かして黒糖飴を製造していた企業が、その黒糖を使ってかりんとうを製造する場合は、事業の構造の中の「調達」の強さを活かしたものになります。
図表4 学問分野ごとに教える起業家教育

資料:筆者作成。

 
 学問分野ごとに教える方法は、ある意味では教える側にとっては楽です。極端なことを言えば、戦略論ではアマゾンのグローバル戦略を教え、マーケティングではP&Gのアジア市場の開拓をケーススタディとして、ファイナンスでは大企業のコーポレートファイナンスをテーマにするかもしれません。縦割り構造の強い大学ですと、今でもこのような構造、つまり教えるべき学問分野はカバーしているが、起業プロセスのことを何も考えていない起業家教育を行っていると思います。
 
 戦略論、マーケティング、ファイナンス、オペレーション、組織論などは、起業ステージや成長ステージにかかわらず、経営に携わる者にとっては必須の学問分野ですが、これらを起業ステージに関連づけないで学んでも起業活動を成功に導く効果は激減します。
 
 例えば、ファイナンスの場合、サービス・商品の開発段階では身内や友人からの出資をいかに獲得するか、立ち上がり段階では個人投資家が主な調達先になり、成長段階になってようやくベンチャーキャピタル(VC)からの調達に焦点を当てたファイナンスが重要になってきます。
 
 顧客の開拓にしても、サービス・商品の開発段階と成長段階や第2創業段階ではまったく違います。
 
 このようなことを踏まえて、バブソン大学経営大学院は、他のビジネススクールに先駆けて図表5のようなフレームワークで起業家教育を再構築しました。
 

図表5 起業ステージごとに教える起業家教育

資料:筆者作成。

 
 1年間を4つに分けた授業であれば、第1クォーターはサービス・商品の開発段階を学ぶ、第2クォーターは立ち上がり段階を学ぶ、第3クォーターは成長段階を学ぶ、そして第4クォーターでは第2創業段階を学びます。そして、それぞれの段階で必要に応じていくつかの経営学の専門分野が出てきます。
 
 立ち上がり段階では、戦略論では全社戦略は不要であり、ここではひたすら事業戦略でいかに競争優位を獲得するかがテーマになり、マーケティングではマーケット全体の15~16パーセントを占めるといわれるイノベーターやアーリアダプターに焦点を定めます。ファイナンスでは先ほど触れましたが、VCではなく、個人投資家に照準を定め、オペレーションは多少不効率でもかまわない、組織論はCEOがCFOやCTOを兼務しても可であり、またリーダーシップは多少強制型でも可として、それにビジョン共有型が加わると良いといった感じで、それぞれのステージに引き寄せたかたちで起業家教育を受けるのです。
 
 その場合、ケーススタディを併用するとさらに効果が高まります。ケーススタディはある特定時期にフォーカスしてまとめられていますので、特定段階におけるさまざまな経営学を学ぶことができます。
 
 1週間、同じ企業のケーススタディを使って、月曜日は戦略、火曜日はマーケティング、水曜日はファイナンス、木曜日はオペレーション、金曜日は組織論の視点から分析するのも効果的です。
 
 このように起業ステージに引き寄せた起業家教育の効果は海外では実証済みと言えますが、わが国ではあまり普及していません。その最も大きな理由は、プログラムを構築するための労力です。各専門分野の教授を巻き込んだかたちで作成する必要があり、そこには、「自分が教えたいことが教えられなくなる」「他の専門分野の教授とのすり合わせや打合せの負担が大変である」などの「壁」が存在しているのです。今後の大きな課題と言えるでしょう。
 
 B段階(起業態度有り)からC段階(起業活動有り)に移行するために「起業家教育が目指すこと」の第1回目はこれで終了しますが、次回は、起業プロセスを学んだ後がテーマになります。つまり、事業計画書、ビジネスプランとどのように向き合っていけばよいのかということです。20年ほど前までは事業計画書、ビジネスプランの作成はマストであり、起業家教育のゴールともいわれていました。しかし、最近は、エフェクチュエーションの考えの普及と情報技術の発達もあり、事業計画書やビジネスプランの位置づけにも変化が生まれています。そのあたりのことを中心に次回の連載をまとめてみたいと思います。
 
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか
⑬起業後のリスクや不確実性への対応
⑭起業家になるための能力・起業家に求められる能力(1)
⑮起業家になるための能力・起業家に求められる能力(2)
⑯アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか:起業活動の社会的意義とは何か
⑰アントレプレナーとは誰なのか
⑱市場を生き抜く「強さ」とは何か
⑲アントレプレナーを育てることは可能なのか
⑳アントレプレナーの資金調達(1) 
㉑アントレプレナーの資金調達(2) 
㉒アントレプレナーの資金調達(3) 
㉓アントレプレナーの資金調達(4) 
㉔アントレプレナーの資金調達(5) 
㉕起業家教育が目指すこと(1) 
㉖起業家教育が目指すこと(2)