掌の美術論 連載・読み物

掌の美術論
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)

12月 27日, 2023 松井裕美

 
 

セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)

 
 
盲目の彫刻家
 
 諸芸術を比較する「パラゴーネ」と呼ばれる議論が、美術史には存在する。なかでも、彫刻と絵画の優劣を競うパラゴーネは、触覚と視覚、形態と色彩、物質性と虚構性とのあいだの対立軸をめぐり繰り広げられてきた。そのなかで彫刻に軍配をあげるのにたびたび重要な役割を割り当てられるのが、盲人である。彫刻は目が見えない人にも実際のかたちを正確に伝える芸術であり、平面のなかに別の世界が存在するかのように見せる虚構としての絵画よりも優れている、とするロジックだ。

 ルーヴル美術館にはこのロジックに沿って描かれたデッサンが残されている(図1)。杖を持つ男は盲人であり、女性の頭部像に手を触れその美しい姿を確かめている。彫像の台座には一枚の絵が立てかけてあるが、彼はそれに見向きもしない。なぜなら見ることができないからだ。画中画には着衣の男性が二人の浴女と対峙しており、盲人と彫刻の出会いを反復するような場面となっている。ただし画中画の男女の出会いが、盲人と女性像の出会いと大きく異なるものであることは明らかだ。盲人は女性像の頭部に触れていることから、官能的な触れ合いよりも造形的な鑑賞を彼が求めていることが暗示されている。画中画の中の男性はこれとは反対に、裸の女性たちの身体に触れようとはしていないが、眼前に現れた温かな素肌に性的な関心を向けている。西洋絵画には、男性が女性の水浴中の姿を覗き見するという逸話がしばしば描かれており(たとえばローマ神話に登場する狩猟の女神ディアナの水浴を覗き見した猟師アクタイオンや、旧約聖書に登場する水浴中のバテシバを見初め関係を迫るダビデ王、新約聖書に登場する水浴中の人妻スザンナを覗き見した長老など)、画中画の場面もまた、そうした場面のうちの一つなのだろう。画中画の窃視者は、手で女性に触れはしないが、代わりに眼差しによって触れているのである。つまりこの寓意は全体として、造形的な関心と性的な関心、手で美しいかたちに触れることと眼差しで美しい素肌に触れることのあいだの対比を問題にしようとしている。
 

図1 グエルチーノ(伝)《絵画に対する彫刻の優位の寓意》17世紀。ルーヴル美術館
出典:https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl020003809

鋭い触覚により造形的な関心からかたちの探究を行う盲人は、彫刻の優れた鑑賞者であるばかりか、優れた制作者でもあり得る。そう考えた18世紀フランスの画家エチエンヌ・オーブリーは、1771年に彫刻家ルイ・クロード・ヴァッセの肖像を制作する際に、モデルの視線を宙に漂わせ、あたかも盲人であるかの如く描出した(図2)。およそ実際の制作の場面とは思えない豪華なマントに身を包んで塑像を作り出す最中のこの芸術家の手は、当て所のない視線とは対照的に、しっかりと粘土を捉えている。浮き上がった右手の腱の筋や親指の付け根の皺は、彫刻家の手つきの力強さと慎重さの双方の証左となっている。頭部像の首元を掌全体でしっかりと捉えた左手の指には、木ベラが挟まれており、必要であれば今にも動かす準備ができていると言わんばかりだ。ここで、制作された彫像が、愛と美の女神であるウェヌスであったなら、そこにはみずからの制作した女性像に恋したギリシア神話に登場する彫刻家ピュグマリオンの逸話が想起させるような、官能的な意味が生じていたことだろう。だが月桂樹をあしらった兜を被るこの頭部像は、ローマ神話に登場するマルスである。冷たい灰色の肌を持ったこの軍神からは、柔らかい素肌の官能的な温かさは感じられない。肌の質感よりもかたちの正確さを表現しようとするこの彫刻は、まるでグリザイユ(グレートーンやセピアといったモノクロームで描かれた絵画)のようだ。右上方に向けられたマルスの眼差しは左上方に向けられたヴァッセの視線と差し向かいになり、交差している。あたかも、それぞれ別の方向からやってきた天からの不可視の光が、両者の心に差し込んでいるとでもいうかのように。ヴァッセは盲人ではなかった。しかし盲人の彫刻家として彼を描くことこそ、画家オーブリーにとっては、天啓を心の眼で受け取り巧みな触覚の技へと結実させる彫刻家を讃えるのに適していると思われたのだろう。
 

図2 エチエンヌ・オーブリー《彫刻家ルイ・クロード・ヴァッセの肖像》1771年。ヴェルサイユ宮殿

 
盲目の画家
 
 網膜上の映像に何らかの制限を受けるということは、画家にとってもまた精神の眼を開くということを意味し、結果的に抽象的なヴィジョンへ接近する道のりを切り拓いた。イギリスの画家ターナーが1828年描いた《レグルス》は、古代ローマの将軍レグルスがカルタゴに捉えられ、瞼を切り取られたまま地下牢に閉じ込められた挙句、外に出されて太陽を直視するよう強いられ失明したという逸話をテーマにしている。将軍が最後に見た、視力を失うほどの過酷な光は、その暴力だけでなく美しさによっても、私たちの眼を眩ませる。かたちを曖昧にし眼に映る情景を溶解させてしまうほどに激しい光は、やがて晩年に描かれた《光と色(ゲーテの理論) 洪水の翌朝 創世記を書くモーセ》(テート美術館)のように、光と闇、そしてさまざまな色彩が衝突する精神世界へと画家を導くことになる(なお本作は2024年1月14日まで大阪中之島美術館の「テート美術館展」に展示されている)。象徴主義の美学にも同様の傾向が見出せる。例えばオディロン・ルドンの《眼を閉じて》(岐阜県美術館)において、瞳を閉じた人物が瞼の裏に描く世界は、抽象的な色彩に溢れた瞑想の世界である。

 外部からもたらされる視覚情報の制限や遮断は、眼には見えない精神的な世界への鍵であったばかりではない。それは抽象絵画という新しいジャンルを予兆する諸形式を展開した。視力を失いつつあった晩年のモネの睡蓮の連作に認められる絵の具のほとばしりは、床に置いたカンヴァスにペンキを垂らしこむジャクソン・ポロックのドリッピングにたびたびなぞらえられてきた*1。マティスは1898年に滞在したコルシカ島で夕日を見て、その眩しい光が風景を溶解させる有様を荒々しい筆致で描き出した(《コルシカ島に沈む夕日》)。強い光だけでなく、眼を凝らして見なければならない闇の表現もまた、マティスにとっては色彩の実験場となった。彼はコルシカ島に次いでトゥールーズに滞在し、その間いくつか窓からの逆光を受ける静物画を描いている。例えばバルチモア美術館にある1899年の《静物画》を見てみよう。そこでは影に当たる場所に、青や赤、緑が配置され、後のマティスのフォーヴィズム絵画における激しい色使いの予兆となっている。さらにキュビスムの画家フェルナン・レジェは、歩兵として参加した第一次世界大戦において、「目を眩ませるようなまったく新しい現実に突然私を放り投げた」この戦争が、キュビスムの抽象絵画を忘れさせるような、より純粋な抽象をもたらすものであったことを述懐している*2。彼は「まばゆい日の光のもとで開かれた七十五ミリ野砲の尾栓*3」に反射する光で眼を眩ませただけではない*4。敵の眼を逃れるために迷彩を施し、光をちらつかせたり音を立てたりしないよう身を潜めながら暮らしていた当時の生活、すなわち「身を潜め、隠れ、四つん這いになり、大地の色をまとい、使い物にならないまなざしは何も見てはいなかった」その時間を、レジェはのちに「眼が記録し知覚することのできるものすべてが見えなくなり消え失せるような盲人の生活*5」と表現している。

 ここでは、冒頭に示した諸芸術を比較するパラゴーネの議論との対照性は明らかだ。彫刻家の盲目は、心の眼と、肉体に備わった手で、確かなかたちを生み出すことができる。そこにあるのは、触覚的に把握した現実を理念化し、具体的な素材でイメージとして実現する、模倣原理の一種だ。しかし画家の盲目は逆に、あらゆるタイプの模倣原理から離れていく。いずれの芸術ジャンルが優れた自然の模倣の技術であるのかを競うパラゴーネにおいて、絵画が優位に立つのは、手で触れられないものも眼で見て真似ることができるからだ。しかし画家が眼で見る能力を制限されるということは、盲目の彫刻家とは逆に、現実の模倣からは遠ざかることを意味する。眼を閉じた画家、あるいは瞳を開きすぎて眼を眩ませた画家が握る絵筆は、やがて視覚的な「本物らしさ」とは異なるイメージを生み出すことになる。こうして絵の具は、自然の模倣という目的からは切り離された、自律した美的表現としての性質を帯びるのである。
 
 しかし、抽象表現を予兆するような彼らの絵画は、純粋に形式的な面でしか享受できないのだろうか。それらはむしろ、自然との接触を別様に描出するものだったのではないだろうか。実際、モネもマティスもレジェも、限定された視覚の中でなお、現実を見続け、現実に触れ続けたのである。この記事ではそうした可能性について別の方向から探る試みとして、ミニマリズムの彫刻家として知られるロバート・モリスの《盲目の時間》と、彼のセザンヌ論に注目してみたい。
 
ロバート・モリスの《盲目の時間》
 
 ロバート・モリスは、1972年から《盲目の時間》と題されたシリーズのドローイングを開始した。各々のドローイングの制作にあたって、右手と左手の動き方に、あたかも舞踏の振付のように条件をつけたり、制限時間を設けたりなどして、眼を閉じて黒いグラファイト(石墨とも訳される画材の一つ)の粉末を紙に手でなすりつけていく、というものだ。例えば1973年の《盲目の時間 XXXVIII》では、「30秒間のあいだに、左手で毎秒2回、合計60回、5インチの高さのストロークを、幅30インチ分つくる。次に眼を閉じて右手で、その下に、30秒間のあいだ左手と同じ仕事を繰り返すよう試みる。時間の予測誤差は+2秒*6」といった指示がなされる。細かい条件付けに従って制作するという発想には、ソル・ルウィットのコンセプチュアル・アートとの類似性も見出せる。だがぺぺ・カーメルは次のように述べながら、モリスの作品が、形而上学的な概念上の実践というよりも、自己の主観的意識に迫り、身体とそれが生み出す現象としてのイメージとの関係についての内省を促すような、現象学的な試みであるとする。曰く、ここで「モリスの指は、まるで目隠しをしたダンサーたちのようにページを横断し、視覚に導かれることなく運動学上のキネスティック感覚に動きを制御させている」。このドローイングの鑑賞者は、「自分自身から一歩踏み出して、あたかもおのれの手や手足が、自分たちの前にある紙片のうえに跡を作り出しているかのように、芸術家の立場になることを求められる*7」。
 
 ロザリンド・クラウスもまた、モリスの《盲目の時間》における、「手の圧力、伸ばされた指、掌の広がりを感じさせる」ような「触感的な性質」について、メルロ=ポンティの現象学と共鳴するものとして論じている。モリスの作品は、私たちが自己の内側から、自分のものとして感じることのできる身体感覚を、他者からも眼に見え触ることができるものとして「表面化」する試みなのだと、クラウスは言う*8
 
 圧縮されたクラウスの難解な著述には、実は多くのコンテクストが折りたたまれている。彼女が思い描きつつ決して私たちに全貌として展開してはくれないその地図の紙面を、少し折り広げてみよう。

 ロバート・モリスの《盲目の時間》が、制作中の作者の身体感覚と同一化するよう私たちを誘うものであるとすれば、モリス自身もまた、このドローイングを制作している際、別の芸術家の身体感覚に身を寄り添わせていた。彼は1995年のポンピドゥー・センターでの回顧展にあわせて制作された解説映像の中で、次のように語っている。「眼を閉じて作業をしていた時、どれくらい時間が経ったか考えながらも、初めて知ったセザンヌの絵の記憶を呼び起こしていた。《サント・ヴィクトワール山》だ*9」。後期印象派の画家であるセザンヌは、晩年、故郷のこの山を何度も描いた。モリスはどうしてもセザンヌに近づきたくて、1988年に、南仏エクス=アン=プロヴァンスにある画家のアトリエを訪れたのだという。目当ては彼の絵画に触ることではなく、彼の外套に触れることだった。「私は、欲望と恥ずかしさ、発見されてしまうことのおそれに耐えうる限り長く、布に指を押しあてて立っていた*10」。
 
 迷惑きわまりない観光客だ。監視員が目にすれば注意せざるを得ない。だがモリスの行為にはちょっとしたおふざけとは思えないような切実さがある。彼は次のように考えたのだろう。セザンヌの絵を介して、セザンヌの知覚に近づきたい。だがそれは絵の表層のみを見て、その筆触を真似ることでは実現しない。そこで代わりに彼が生前着ていた外套に触れてみる。皮膚のようにしてセザンヌの肉体を包み込み、彼と外界との境界にあった布は、世界を身体全体で触るように知覚しながら絵の具の筆を握り動かし続けたこの画家の身体感覚に寄り添う一つのきっかけになるかもしれない。
 
「感光板」としての画家
 
 モリスが身を寄り添わせようとしたセザンヌの知覚とは、視覚だけではなく、身体全体の感覚である。セザンヌの死後、その回想録を出版した詩人ジョワシャン・ガスケが記すところによれば、セザンヌは風景を描く際に「自分の内の、偏見の声々を黙らせ」、「忘れて、忘れて、沈黙にひたって」、結果として自然に共鳴する「完全なるこだま」にならなければならないと語ったのだという。セザンヌはその際の身体的な知覚体験を、「景色全体が記される」ような「感光板*11」になることに喩えた。
 
 ここで述べられているのは、表面に溶剤を塗って露光させることで撮影する写真(ガラス湿板写真のことであると思われる)の喩えである。写真は視覚的な模倣の最たるものであるために、当時すでに絵画の宿敵にもなり得ると考えられていた技術だったはずだ。だが注意しなければならないのは、「感光板」としてのセザンヌが受け取るのが、光だけではない点である。彼は、匂いや音をも受け取る板であり、「世界の目まぐるしい様子」は、「脳裡の底」で、「目や耳や口や鼻が、おのおの独自の抒情リリシズムをもって受け止める同じひとつの動きのなか」へと「溶解する*12」。
 
 つまりセザンヌが問題にしているのは網膜上の映像だけではない。その存在全体、諸器官に分節されないまるごとの身体が「感光板」となる、ということを、セザンヌは言おうとしているのだ。セザンヌは目を閉じて花や樹木の匂いを思い出そうとしたかと思えば、今度は文学作品が喚起する色彩の歌に全身を浸す*13。そう、現在目の前にあるものの知覚だけでなく、経験や記憶もまた、「感光板」としてのセザンヌの身体的知覚に作用するのである。
 
 セザンヌは「感光板」に作用する記憶の作用を、感光前に板を「浸す」(ガスケが伝えるセザンヌの表現)溶剤に喩えている。それは「気長な仕事や熟考や勉強やさまざまの労苦、そして喜び、つまり人生というもの」が混ぜ合わさった溶剤なのであり、「感光板」としてのセザンヌの身体は、この身体が生きてきた人生という「溶剤」に浸されることで、「物の丹念な像」を受け取ることができるようになる*14
 
 だがガスケが流麗な言葉で伝えるセザンヌの言葉のうちには、ことによるとガスケ自身のものによるのかもしれない抒情的リリックな脚色が認められることにも注意せねばならない。とりわけ違和感があるのは、感光板となり、世界の光と色彩で飽和したセザンヌが、「自分の絵と一体になる*15」、あるいはうつりゆく世界が一瞬見せた姿「そのものになりきる*16」というくだりである。画家の感覚器官により受け取られたものが直ちに絵に反映され、自然と画家と絵とが三位一体となって溶け合う、という表現は、目眩がするほどに美しく文学的である。だがセザンヌの芸術実践の中に置き直すと違和感がある。というのも諸感覚が絵の具のタッチに翻案されると、同一性というよりは差異が生じることになるからだ。セザンヌが息子への手紙で綴った言葉を使用すれば、感覚を受け取るだけでなく、「諸感覚を実現する*17」必要があるのであり、そこには感光板としての身体とはまた別の、制作者としての身体感覚が必要になってくる。
 
 



*1 William Rubin, “Jackson Pollock and the Modern Tradition. Part II,” Art Forum, vol. 5, no. 7, March 1967, pp. 28-37.
*2 Fernand Léger, « Que signifie : être témoin de son temps ? », in Arts, no. 205, 1949, p. 1.
*3 Fernand Léger, « Que signifie : être témoin de son temps ? », in Arts, no. 205, 1949, p. 1. レジェの戦争体験と「盲目性」、抽象表現の関係については、次も参照のこと。Daniel Marcus, “Fernand Léger, Objects, Abstraction and the Aesthetics of Mud”, in Gordon Hughes and Philipp Blom (ed.), Nothing but the Clouds Unchanged. Artists in World War I, Los Angeles, Getty Publications, 2014, p. 60.
*4 Ibid.
*5 Fernand Léger, 1881-1955, cat. exp., Paris, Musée des Arts décoratifs, 1956, p. 112.
*6 Pepe Karmel, “What the Body Knows: Robert Morris’ Blind Time Drawings,” Castelli gallery web site (https://www.castelligallery.com/blog/what-the-body-knows-robert-morris-blind-time-drawings).【2023年12月13日閲覧】
*7 Ibid.
*8 Rosalind Krauss, “The Mind/Body Problem: Robert Morris in Series,” in The Mind/Body Problem, exh. cat., New York, Solomon R. Guggenheim Museum, 1994, reprinted in Julia Bryan-Wilson (ed.), Robert Morris, Cambridge and London, The MIT Press, 2013, p. 103-104.
*9 Rosalind Krauss and Teri When Damisch, “Script of the Film Robert Morris: The Mind-Body Problem,” in Katia Schneller and Noura Wedell, Investigations: The Expanded Field of Writing in the Works of Robert Morris, Lyon, ENS Editions, 2015, p. 251.
*10 Ibid., p. 252.
*11 Joachim Gasquet, Cézanne, nouvelle edition, Paris, Les Editions Bernheim-Jeune, 1926, p. 131(ガスケ『セザンヌ』與謝野文子訳、岩波文庫、2009年、216頁).
*12 Gasquet, Cézanne, p. 133(邦訳、218頁。本稿では原文にあわせて変更を加えた)
*13 Ibid., p. 133-134(邦訳、219頁).
*14 Ibid., p. 134(邦訳、220頁). 
*15 Gasquet, Cézanne, p. 136(邦訳、223頁).
*16 Gasquet, Cézanne, p. 137(邦訳、224頁).
*17 John Rewald (ed.), Paul Cézanne. Correspondance (nouvelle édition) , Paris, Editions Grasset, 1978, p. 324(ジョン・リウォルド編『セザンヌの手紙』池上忠治訳、筑摩書房、1967年、259頁).

 
 
》》》バックナンバー 《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して

松井裕美

About The Author

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。