夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
㉛(最終回)夢を叶えるためのアントレプレナーシップ

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
Published On: 2024/12/26By

 
本連載もいよいよ最終回です。アントレプーシップとは何か、さらには高橋先生のアントレプレナーシップの捉え方、そして「想い」を十二分に受け止めてください。[編集部]
 
 
 筆者がバブソン大学経営大学院に在籍していた時に指導を受けたバイグレイブ(William D. Bygrave)は、アントレプレナーシップとは、新しい組織を形成し新しい事業機会を実現するための一連の活動と定義しました。バイグレイブとともに、バブソン大学の現在の姿を作り上げたもう一人の功労者であるティモンズ(Jeffry A. Timmons)はバイグレイブの定義に、「現在有している資源の有無や多寡によらずに」を付け加えることによって、アントレプレナーシップの特徴を表しました。ティモンズは新しい事業の確立とともに資源調達の同時進行性にも着目したのです。
 
 また、近年、アントレプレナーシップの新しい概念に、サラス・サラスバシー(Saras D. Sarasvathy)によるエフェクチュエーションが登場しました。本連載でもたびたび触れてきましたが、エフェクチュエーションの特徴をひと言で表現すると、「行動から学び、学びながら行動し、ゴールに向かうこと」になると思います。
 
 アントレプレナーシップの定義は研究者によってさまざまであり、一つに集約されるものではありませんが、筆者は、三人の研究者の定義や研究成果をもとに、次のように定義したいと思います。
 
 つまり、「現在有している資源の有無や多寡によらず、行動から学び、学びながら行動し、新しい事業機会を実現するために行う一連の活動」ということです。
 
 「新しい組織の形成」の文言を入れなかったのは、アントレプレナーシップは自分の夢に少しでも近づく可能性を与えているくれるものですが、夢は必ずしも、新しい組織を形成しなくても、組織や地域にとどまったままでも実現できるからです。
 
 連載の最終回にあたる今回は、先ほど紹介した筆者の定義にしたがって、アントレプレナーシップとはどのようなことなのかを振り返ってみたいと思います。
 
事業機会(夢、やりたいこと)>手持ちの資源(資金、人脈、技術など)
 
 事業機会は、business opportunitiesと訳されることが多いのですが、決してビジネスの世界だけのことではありません。第8回の連載の「永遠のトンボ少年」ともいえる杉村光俊さんや第10回の連載で取り上げた岩手県旧沢内村の深澤晟雄(ふかさわ まさお)元村長が実現しようとしたことも、ここでは「事業機会」に含まれます。「夢、やりたいこと」という表現の方がしっくりする場合も多いかもしれません。
 
 いずれにしても、事業機会を実現したいと思った段階では、実現するために必要な資源はわずかであり、圧倒的に不足しています。
 
 そんなこと、当たり前じゃないのか。どうして、それがアントレプレナーシップの特徴になるのか。
 
 次の図表1と図表2を比べて下さい。図表1はアントレプレナーシップの特徴を表すものであり、一般にティモンズモデルと呼ばれるものです。一方、図表2は、業歴が長く内部留保が潤沢でありながら新しい事業を育てられていない既存企業の状態を表しています。早期退職者を募るほど、人が余っている企業も珍しくありません。例えば、日本を代表する企業の一つであった東芝は2024年5月に4,000人にのぼる人員削減計画を発表しています。
 

図表1 事業機会(夢、やりたいこと)>手持ちの資源(資金、人脈、技術など)

                 
 

図表2 事業機会(夢、やりたいこと)<手持ちの資源(資金、人脈、技術など)

資料:図表1、図表2ともにティモンズモデルをもとに作成した。

 
 アントレプレナーシップのスタート段階では、資金や人材が圧倒的に不足しており、この状態で取りうる選択肢は2つになります。
 
 一つは、エフェクチュエーションの考え方に近いもので、手元にある資金や人材でやり繰りするというものです。例えば、第3回の連載で紹介した株式会社ようびの創業者大島正幸さんが、その代表例です。所持金28万5,000円で、見ず知らずの土地である岡山県西粟倉村に移住し、そこでヒノキ材を使った家具を製造しようとしたのですから、まさに「あるものでやり繰り」した典型といえるでしょう。
 
 もう一つは、事業機会実現のために必要な資源を調達していくもので、ここではアマゾンの創業時から株式公開をするまでの資金調達の経過を紹介します(図表3&図表4)。株式公開までの資金調達額は931万2,961ドルと現在の時価総額2兆4,000億ドル(2024年12月23日時点)と比べると端数のような金額ですが、それでも事業機会実現のためにさまざま方法を駆使して資金を調達していたことがわかります。
 

図表3 IPO(株式公開)までのアマゾン・ドット・コムの資金調達の歩み

資料:Osnabrugge, V., et al. [2000] Angel Investing, Jossey-Bassと Spector, R. [1997](長谷川真美訳『アマゾン・ドット・コム』日経BP社、2000年)をもとに筆者が作成。

 

図表4 IPO(株式公開)までのアマゾン・ドット・コムの資金調達の内訳

資料:図表3に同じ。

 
 このように、事業機会に対して現在有している資源不足への対応は大きく分けると2つになりますが、実際は、この2つの方法を同時に使っていることが多いのです。つまり、創業して間もない段階で資金調達を行っている創業者が多額の給与を受け取っている例などはほとんど見かけません。皆、節約できるところは節約しているのです。一方、西粟倉村の大島正幸さんも、キャッシュフローの流出を限界まで抑えながら、村から工場を払い下げてもらったりするなど、資源の確保にも全力を尽くしています。
 
行動から学び、学びながら行動し、ゴールに向かう(エフェクチュエーション)
 
 計画を重視するのか、行動を重視するのかという問いかけは、アントレプレナーシップを話題にする時、よく取り上げられるテーマです。しかし、これも二者択一の問題ではなく、優れたアントレプレナーは計画と行動を上手に使い分けています。
 
 人生設計においても、自分が納得できるゴールを設定し、そこに到達するための計画を立てることは大切ですが、同時に、目の前のことに全力を尽くすことの重要性を忘れることはできません。
 
 宅配便の生みの親ともいえる小倉昌男は、個人から個人に届ける配送需要は必ずあると確信していましたが、周囲の人たちに尋ねると、荷物輸送は「あらかじめ」どこからどこに運ぶのかがわかっていないと成り立たないの一点張りでした。いつ、誰がどこに届けてほしいのかがわからないものを扱って利益が出るはずがないことです。
 
 そこで、小倉昌男が下した決断は、「まず、やってみる」ということでした。しかし、その一方で、事業が軌道に乗るまでは、第1は顧客満足度、利益はその次と明確な方向性を打ち出して、新事業に挑みました。
 
 計画も行動も重要であることを確認したうえで、エフェクチュエーションの話題に戻ると、これは創業間もない時に強く求められる行動原理ということができます。
 
 宅急便もそうですが、アントレプレナーが挑戦する事業は前例がないものがほとんどです。前例がないので実験するしかありませんが、その実験に当たるものが行動なのです。
 
 日清食品のカップラーメンの最初の顧客は、夜遅くまで働いている夜勤の看護士さんや工事現場の人たちといわれていますが、最初に狙ったのはプロ野球の観客席にいる人たちでした。行動を起こして、失敗したからこそ、夜勤をしている人たちという顧客を発見できたといえるでしょう。
 
 図表5と図表6は、第25回の連載でも紹介したものになりますが、エフェクチュエーションの特徴を示したものを再掲しました。
 

図表5 不確実性の中での行動原理


 

図表6 起業家がゴールに到達する道筋

資料:図表5&図表6ともに筆者作成。

 
新しい事業機会の実現
 
 アントレプレナーシップの特徴の第3は、新しい事業機会の実現です。ビジネスの世界で考えると、その理由は比較的簡単で、すでに存在している事業機会は既存の企業が担っているからです。既存業界では知名度も高く、経営資源の蓄積もある企業に挑んでも勝ち目はほとんどありません。タイミーが成長しているのは、既存のアルバイト情報提供企業が扱っていなかった「すき間」時間を利用したアルバイト情報に着目したからです。1990年代におけるアメリカの書籍販売業の雄は、バーンズ&ノーブル(Barnes & Noble, Inc.)でした。アマゾン・ドット・コムがバーンズ&ノーブルと同様に実店舗による書籍販売で新規参入したとしたら、その結果はどうなっていたでしょうか。
 
 このように、アントレプレナーは、生き残るためにも新しい事業機会の実現を目指すしかないといってもよいと思います。そして、そのことがアントレプレナーシップの特徴になるのです。
 
 でも、ちょっと待って。アントレプレナーよりもはるかに経営資源のある既存企業も新しい事業機会を追求してきたらどうなるの?
 
 するどい指摘です。しかし、実際には既存企業はすでに既存市場での地位を確立しており、あえて新しい市場に参入しようとしません。もう少し正確にいうと、新規参入するとしても既存市場の延長線上にあるマーケットです。
 
 この現象は、理論的にも明らかになっていますが、実際に起きていることを観察しても納得できます。第16回の連載でも触れましたが、例えば、新しいタイプの麦焼酎の販売で、飛ぶ鳥を落とす勢いであった時に、九州のある焼酎メーカーの社長にインタビューしたことがあります。その時の社長は今の看板ブランドは売上の98%を占めており、多角化や新規事業の必要性はわかっているが、売上500億円に対して経常利益100億円を計上している今のブランドを超えるような事業は思い当たらないと述べていました。経営者としては当然の判断ともいえます。しかし何年か経過した後、そのブランドの売上は頭打ちになりました。
 
 つまり、既存企業のほとんどは、既存市場で成功を収めています。また、高い利益率も計上しているでしょう。その中で、既存市場の利益率を上回る新規事業を提案するのは、組織内の意思決定プロセスを考えると、非常に難しいことは容易に理解できます。
 
 また、当該企業だけではなく、新規事業が既存事業のステークホルダーの利益を損なうような時も同様です。例えば、日本の新聞社が一気に新聞の電子化に進めなかった背景には、紙媒体の新聞を配達している新聞配達店の存在があったといわれています。
 
 第16回の連載では次のような事例も紹介しました。
 
 ケン・オルセンによって設立されたディジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)は、当時、コンピュータの世界の巨人であったIBMが目もくれなかったミニ・コンピュータを開発し、1980年代には世界第2位のコンピュータメーカーになりました。しかし、パーソナル・コンピュータの競争ではアップル・コンピュータ(当時)に完敗し、そのアップル・コンピュータもOS(オペレーション・システム)ではマイクロソフトの後塵を拝しています。さらに、インターネットの発展速度を見誤ったビル・ゲイツはブラウザ(インターネットの閲覧ソフト)ではネットスケープに先を越され、さらに、検索エンジンでは新興企業であるグーグルが覇権を握り、SNS発展の先鞭をつけたのはフェイスブックでした。 このように、産業界で最先端ともいえる情報技術分野においても、一度ある技術で業界を制してしまうとなかなか次の分野に進出できないという現象が見られます。それは、既存企業にとってのアキレス腱ですが、アントレプレナーにとってはまさに事業機会となるのです。
 
 また、行政や地域においても、ビジネスの世界と同じことがいえます。今まで行ってきたことでしたら、それを担うための仕組みや制度がすでに存在しています。その流れに乗ってこないものだからこそ、アントレプレナーによる周囲への働きかけが必要になります。第29回の連載で紹介した柳川市の広松伝(ひろまつ つたえ)は、すでに決定済みのプロジェクトである水路の下水路化に反対したわけですが、そのような反対活動のための仕組みや制度などあるはずもありません。新しい事業機会だからこそ、アントレプレナーが制度や仕組みに代わって、その多くを自ら担うことになるのです。
 
 
 最終回は、アントレプレナーシップの特徴を3つに分けて振り返りました。この連載の大きな目的の一つはアントレプレナーシップを「ビジネス」という狭い範囲でとらえるのではなく、組織の中や地域の中でも展開できるものであることを伝えることでした。そのためには、起業家教育が経営者を育てることだけを目的にしてはいけないということも触れてきました。筆者は、アントレプレナーシップを不確実性が益々強まる社会の中を生き抜くための「教養」と捉えています。その教養を少しでも多くの人が身に付けることで、結果的にビジネス分野で起業する人も増えるでしょう。急がば回れです。そのことを最後に述べて、この連載を終了させていただきます。ありがとうございました。
 
 
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか
⑬起業後のリスクや不確実性への対応
⑭起業家になるための能力・起業家に求められる能力(1)
⑮起業家になるための能力・起業家に求められる能力(2)
⑯アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか:起業活動の社会的意義とは何か
⑰アントレプレナーとは誰なのか
⑱市場を生き抜く「強さ」とは何か
⑲アントレプレナーを育てることは可能なのか
⑳アントレプレナーの資金調達(1) 
㉑アントレプレナーの資金調達(2) 
㉒アントレプレナーの資金調達(3) 
㉓アントレプレナーの資金調達(4) 
㉔アントレプレナーの資金調達(5) 
㉕起業家教育が目指すこと(1) 
㉖起業家教育が目指すこと(2) 
㉗計画が先か、行動が先か 
㉘地域活性化とアントレプレナーシップ(1) 
㉙地域活性化とアントレプレナーシップ(2) 
㉚地域活性化とアントレプレナーシップ(3) 

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
Go to Top