芸術と嘘
芸術とは嘘をつく技術である、という言説は、たびたび認められる。それは芸術を真実から遠ざけるための批判ともなり得るものではあるが、むしろそこにこそ芸術の真髄を見る見解が、近代フランスに登場する。17世紀の色彩派の画家ロジェ・ド・ピールは、ルーベンスの作品に認められる誇張された色や光の表現が「化粧」(白粉や虚飾を意味するフランス語「fard」)に他ならないと認めながらも、この「化粧」による理想化を施し、鑑賞者を欺くことこそ、絵画の本質であるとした*1。ジャックリーヌ・リシテンシュテインが1987年の論文「表象をメイク・アップする――女性性のリスク」で指摘しているように、絵画や言語の表現を化粧術に喩えるこうした言説は、伝統的には女性嫌悪に根ざすものであった一方で、17世紀以降のフランスで化粧術としての芸術を肯定的に捉える傾向が登場したことは、宮廷文化における化粧の評価や、文学における女性性の評価とも無縁ではなかった*2。
表象を「メイク・アップ」すること。すなわち「でっちあげる」こと、「化粧」すること。それは芸術的な理想化のためには避けては通れないことである。18世紀の思想家ディドロは、「1767年のサロン」の中で、「嘘というのはいつでも少しはあり、どこまで嘘が許されるのかは今もこれからも定まることはない」のだから、「芸術に[現実と]乖離する自由を与えてやってください*3」と記している。ジャン=ジャック・ルソーが『孤独な散歩者の夢想』(1782年)のなかで言っているように、この種の「自分にも他人にも利益や損害なしに嘘をつくこと」は、嘘というよりむしろ虚構の範疇に属すると言えるだろう*4。
さて、ここで芸術家には二つの選択肢が与えられている。一方では「嘘」を本物であるように見せかけ騙すこと。他方では虚構が「嘘」であるとわかるように示すこと。後者は前衛的な芸術家に特有の身振りだ。ポスト印象派の画家ポール・ゴーギャンは、自然の色彩を誇張し「欺瞞」や「嘘」によって「照らし出された」絵こそ、「真の物事(光と力、そして大きさ)の感覚を与える」ことができるのだとした*5。20世紀のキュビスムの画家パブロ・ピカソもまたある対談の中で、次のように絵画が「嘘」としての本性を示すからこそ真実を見せてくれるのだと主張している。
わたしたちは皆、芸術は真実ではないと知っている。芸術とは真実を我々に教えてくれる嘘なのであり、少なくとも、嘘は真実を理解する機会をわたしたちに与えてくれている。芸術家は嘘の真実性を他者に認めさせる手段を知っていなければならない。芸術家が、首尾よく嘘をつこうとして探り続けてきたものを作品のなかで見せるだけなのだとしたら、その芸術家は何も成し遂げないだろう*6。
芸術は世界の真実を映し出す鏡とはなり得ないが、しかし真実について考えるための虚構としては機能する、というのである。
これまで私は、研究の中でピカソのこうした言葉を引用しながら、彼らが現実の模倣とは異なる「新しい現実」として芸術作品を捉えていたのだと説明してきた*7。彼らが作る「新しい現実」としての作品は、人を騙すために突き通す「嘘」とも、唯一無二の「真実」とも異なる何かである。それは真実を映し出したり説明したりはしないが、私たちの現実の理解に揺さぶりをかけ、現実の捉え方について再考察を迫るものだ。今でもそうした見解は変わらない。
だが同時に、ピカソの発言のうちには常々、奇妙な違和感を感じてもいた。前衛的な振る舞いとして「嘘」をつく芸術家は、その作品を通して、果たして本当に「真実」について省察することを鑑賞者に求めているのだろうか。ピカソすら、嘘や真実が一体何なのかについて、確信を抱いていなかったはずではないだろうか。それなのにピカソの上記の発言からは、そうした迷いが認められないのだ。芸術とは「真実を我々に教えてくれる嘘」である、と語るこの画家の確信に満ちた言葉のなかに真実がないのであれば、彼の言葉のうちに芸術における真実を求めようとすることは、まるで存在しない実の部分を求めながら玉ねぎの皮を剥くような、空虚な試みとは言えないだろうか。
存在すら定かではない真実の追求が空虚なものに感じて嫌気がさしたなら、まずはそもそもの問い、つまり「芸術における真実とは何か」という問いから、ひとまずは離れることだ。ここでは「化粧」という切り口から、いくつかの言葉と図像を渡り歩き、「芸術における嘘」について考えてみよう。
化粧術としての絵画
化粧術は古来より、自然を覆い隠す人工的な技巧として考えられてきた。プラトンの著書『ゴルギアス』のなかでソクラテスは、「形や色や、肌の滑らかさや衣装でもってごまかす」化粧術について、「体育術によって得られる自己本来の美をないがしろにさせる」という理由で批判している*8。この批判にはフィジカル(物質的=肉体的)なもののうちにもヒエラルキーがあることが前提とされている。上位にあるのは鍛え上げられた美しい肉体であり、下位にあるのは真実の肉体を化粧という虚飾によって覆い隠す白粉や紅の物質性である。後者の性質を見る者に感じさせないようにするには、白粉や紅の粉の質感を感じさせないよう、それらをしっかりと肌に馴染ませるしかない。
絵画術においても、色彩は顔料という物質性と切り離せないものだった。そしてこの物質的側面ゆえに、色彩を扱う技巧は長らく絵画術のヒエラルキーの下位に置かれてきた。例えばシャルル・ペローの『美しい諸技術の書斎』(1690年)に掲載された寓意版画《絵画》を見てみよう(図1)。絵画の寓意像である成人女性はパレットを持ち、詩の寓意像である本を持った幼女と見つめあっている。向かって左の三人組の少年たちのうち、一番左で《ベルヴェデーレのアポロン》のイメージを表紙にあしらった大型の素描帳に寄りかかる少年は素描の寓意像であり、パレットをもった色彩の寓意像に指示を出している。ここでは、詩に対する絵画の優位と、色彩表現に対する素描の優位が示されているのだ。色の顔料の物質的な側面はこのパラゴーネにおいて出る幕もないとでもいうかのように、絵具の顔料のために鉱物をすりつぶす孤独な作業に勤しむ少年は画面の右端で、絵画の影に追いやられている。美術史家ジャン=クロード・レーベンシュテインは、顔料を使用して理想化された虚飾としてのイメージを見せるという絵画の化粧術的な一面が、模倣の歴史においては「表現の次元における悪しき物質性」という「絵画の恥部」として蔑まれたり、あるいはそれ自体覆い隠されたりしてきた、と、述べているのだが、この少年はまさにそれゆえに、絵画の後ろに隠れて、絵の具を準備する作業をしなければならなかったのである*9。
物質性への嫌悪は、興味深いことに、色彩を表現的に用いて抽象絵画への道を切り拓いた前衛的な画家たちにすら認められた。彼らは色彩のうちに、物質的側面よりも精神的側面を認めようとした。ドイツ表現主義の画家フランツ・マルクは、『青騎士』の巻頭論文「精神的な財宝」(1912年)において、「精神的な財宝」と「物質的な財宝」とを対比的に捉えている*10。また同誌掲載の論考「ドイツの『野獣派』」では、ドレスデンのブリュッケ、ベルリンの新分離派、ミュンヘンの新芸術家協会といった「野獣派」の動向における目標が「来るべき精神的宗教の祭壇に祀られるべき」象徴を作り出すことであり、「その背後では技術的な作り手は姿を消す」のだと主張した*11。
絵画における抽象主義の先駆者であったカンディンスキーもまた、1910年に執筆され、翌年出版されたその著書『芸術における精神的なものについて』の「序論」において、「物質主義的世界観の悪夢」から覚めて「道徳的・精神的な全雰囲気のもつ内的志向」を目指す新たなる芸術の可能性について論じている*12。それは「今日もっとも非物質的な芸術」であるところの音楽に喩えられるような絵画であり、「律動や数学的・抽象的な構成の探究、色彩の反覆や動的な色彩の使用」のうちに実現されるのだという*13。
色彩のうちに精神的なものを見るこうした傾向は、17世紀以降の科学的な言説と深く関係している。物体に吸収されず反射された光が目に入ることで色彩が知覚されることを明らかにしたニュートンの物理学的な研究や、色の知覚の心理的作用を考察したゲーテの色彩論は、色彩が対象となる事物に本質的に備わるものではなく、それを知覚した者の感覚的・心理的領野で生じるものであることを明らかにした。19世紀末から20世紀にかけて多方面の分野に著述を残しているルドルフ・シュタイナーは、ニュートンの近代物理学には反発しつつもゲーテの色彩論から着想を得て、自身が展開していた神智学を基礎としながら独自の色彩の象徴体系を説くのだが、そこでもやはり、絵画を描くときの「顔料としての色彩の物的成分」と色彩の本質的かつ純粋な知覚とを混同してはならないと注意を促している*14。
マネとカバネル、二人の画家による化粧術
絵画の化粧術的側面を揶揄する傾向が根強く残り続けた一方で、19世紀には化粧の人為性をあえて評価する美学もまた芽生えていたことは、よく知られている。シャルル・ボードレールは1863年に『フィガロ』誌に連載した論考「現代生活の画家」において、白粉が「皮膚の肌理と色の中に一つの抽象的な統一を創り出す」ことで、「タイツによって産み出される統一と同じく、人間をたちまち彫像に近づける」のであり、また「目を隈取る人工の黒」や「頬の上部を際立たせる紅」が「超自然的で過激な生を表象」するのだと記している*15。このように化粧は、自然の模倣という目的を大きく逸脱するからこそ、「自らを隠し立てすることも、見破られまいとすることも要らない*16」のだとボードレールは言う。
化粧の効果に想像力を掻き立てられたのは詩人だけではない。1865年の『ジュルナル・アミュザン』表紙に掲載された風刺画家ベルタルによるイラストを見てみよう(図2)。鏡に見入る女性の左手にはパレットが握られている。彼女はおそらく〈絵画〉の擬人像だ。しかしペローの『美しい諸技術の書斎』(1690年)に描かれた〈絵画〉の擬人像とはどうも様子が異なる。ベルタルが描く擬人像の前に置かれているのはカンヴァスではなく鏡であり、彼女自身は筆を握ることはない。代わりに筆を握っているのは背後に控えている執事たちで、男性の方は髪に緋色の顔料である「ルージュ・ベネシアン」を塗り、女性の方は美しい曲線を描く剥き出しの肩に白粉「ブラン・ド・パール」を塗っている。彼女の奥には花束を持った黒人女性の侍女。鏡の上には黒猫。キャプションにはこのように書かれている。「絵画ならびに諸芸術の喜ばしき傾向。すなわち、それらはますます、あまりにも不運なことにこれまで諸芸術に欠如してきた産業的な性格を帯びるようになってきている。」ここでは化粧術と絵画術、産業と芸術との融合が、揶揄されているのである。
だがベルタルの揶揄は、そうした融合に皮肉な眼差しを投げかけるばかりでなく、化粧術としての同時代の絵画にも多様性があることを見抜くものである点において、興味を引く。この雑誌を開いてみると、少なくとも表紙に関係するカリカチュアが2枚登場することになる。いずれもベルタルの手によるものである。
1枚は、エドゥアール・マネが描いた《オランピア》(1863年。オルセー美術館)の戯画である(図3)。1865年のサロンに展示されたこの絵画を見て描かれたベルタルのイラストには、性欲を暗示する尻尾を立てた黒猫と、花束を抱えた黒人の侍女が、裸婦を取り巻いている。同じモチーフを登場させた前述の表紙絵(図2)もまた、マネの《オランピア》を揶揄するものであったことは明らかだ。またここでは、裸婦の胸の辺りはのっぺりと平面化され、その分、ゴツゴツとした質感を与える手足の陰影が目立つように描かれている。ベルタルは、マネのオリジナルの作品から想起される裸婦の身体的特徴を誇張しているのである。
キャプションではマネは「偉大なる色彩派」と呼ばれているのだが、それは必ずしもティッツィアーノやルーベンスのような色彩派の画家の技術をこの画家のうちに認める賛辞ではない。小説家エミール・ゾラが、マネの絵画作品のうちに「大きな色のひろがりと力強い対比」を見出し称えているように、マネの作品における色彩表現は、再現性よりも物質性を強調するものとして同時代の人々に受け取られた*17。「色のひろがり」(tache[s])は、染みないしは「色斑」とも訳される言葉であり、人間の手が意図的に生み出す筆触を意味する「タッチ」(touche)に対し、現れの偶然性や色の物質性を強調するような用語である*18。だがベルタルの戯画を見ていると、同時代の人々が、マネの絵に絵の具の染みだけでなく、現実的な身体性も感じとっていたことがわかる。そのことは、風刺に描かれている、ゴツゴツした手足や素足から立ち上る湯気の存在のうちに明示されている。女性の身体の、本来はふっくらしているはずの体つきについては、のっぺりとした絵の具の広がりに還元してしまうにもかかわらず、身体の細部が持つ卑近な現実については観客に見せつけようとする、そのちぐはぐな性質に、ベルタルは言及しようとしているのだろう。
次に表紙と関係が深い図像として挙げられるのは、サロンの部屋でアレクサンドル・カバネルの肖像画を鑑賞する女性たちの様子を描くイラストである(図4)。アカデミックな画家であったカバネルの作品は、マネの作風とは対極にある。カバネルは、仕上がりを滑らかにすることで絵の具の表現に本物の人間の肌のような艶を与え、人物たちを理想化して描く技法に長けていた。ベルタルのイラストのキャプションでは、そうした技法をサロン会場で目の当たりにした女性たちが交わす会話が、記されている。だが彼女たちの会話に、技法がもたらす美的な効果への素朴な感嘆を期待してはいけない。一人が「マダムがね、カバネル氏の描く肖像は真綿で描いたのかしら、それともコットンかしら、って、聞いてくるのよね」と言う。するともう一人が「どちらにせよ、見事に傑出した肖像画であることに変わりないじゃない」と返す。この会話の面白みは、肖像画が化粧術によって完成されていることが、自明の事実として前提にされている点にある。
ベルタルがカバネルの作品に向けた皮肉は、マネの色彩表現に向けられた揶揄とは明らかに内容的に異なる。マネの《オランピア》のカリカチュアでは、絵の具の物質性と、娼婦の肉体の身体性とが、同一平面上で互いに矛盾し合い裏切り合う様が捉えられていた。マネの絵画術は、見る者を騙していることを明示する化粧として捉えられたのである。これに対し、カバネルのカリカチュアでは、実物の人物を理想化し鑑賞者たちの目を騙すべく肖像画全体に施された化粧が、観客に見事に虚飾として見破られている点に、皮肉な眼差しが注がれる。見る者に本物であるかのように信じさせようとした化粧術が、その技法の過剰さゆえに、逆説的にも身体的現実よりは化粧の物質的存在を強調しているのである。
絵の具の物質性をそれとして示しながら、同時に肉体の卑近な現実を突きつけるマネの作品。絵の具の物質性も現実の肉体も隠蔽しながら、過度な理想化によってその虚飾を見破られ、結果的に現実の肉体との乖離を前提に鑑賞されてしまうカバネルの作品。二つは対極にあるが、しかしどちらにおいても、肉体の現実と絵の具の物質性の関係性についての考察を、ベルタルは導き出している。
芸術と懐疑
私には、ベルタルによる笑いと皮肉を含んだ洞察の方が、確信に満ちた冒頭のピカソの発言(真実の契機としての嘘という定式)以上に、前衛芸術の創作行為について考えるための有益な視座を与えてくれるように思われる。そこにあるのは、目の前にそれとして示されたものを斜めに受け取りながら考える姿勢、目の前の現実に懐疑の眼差しを向ける姿勢だ。実際、特にキュビスム期のピカソの芸術作品には、そうした懐疑や迷いが存在する(このことについては連載の次回の記事で取り上げる)。
自分が生み出す世界や、ものの見方への懐疑。それをピカソと共有していたのが、キュビスム文学の担い手と見なされた詩人であり、ピカソの友人でもあった、マックス・ジャコブである。彼は芸術における懐疑と迷いの重要性、つまり確信に欠けた状態の重要性についてたびたび言及している。ファッション・デザイナーのジャック・ドゥーセに向けた1907年の書簡では、ジャコブは次のように述べる。
美的な感情、それは懐疑だ。懐疑は両立しないものの結合によって、[……]異なる言葉の一致によって、性格の複雑さによって得られる。モリエールやラシーヌのように、英雄のうちに人間を、悪のうちに美徳を見せること。詩において面白みが生まれてくるのは、現実と空想のあいだ、幾世紀にもわたる撹乱と建設的な構造のあいだの迷いからなのである。音楽も絵画もまさに同様の法則を持つ。懐疑、これこそ芸術だ!*19
さらに、輪のような構造をした複数の宇宙のうちの一つにわれわれは棲んでいる、という独自の世界観を持っていたジャコブは、1909年にギヨーム・アポリネールに宛てた書簡では次のように語っている。「親愛なる友よ、輪っかの法則が認められるや、玉ねぎはいつか神として見なされるだろう*20」、と。
ピカソが嘘としての芸術について語るとき、またジャコブが玉ねぎとしての神について語るとき、彼らは世界を俯瞰し、世界の真実や宇宙を支配する構造について自身が持っているヴィジョンに確信を抱いているというわけではない。彼らは常に、自分たちの見ているものや信じているものが、嘘かもしれないし、現実と空想のあいだに挟まれた単なる玉ねぎの皮の1枚でしかないかもしれない、という疑いを抱きながら、根気強く創作を続ける。創作の先に真実が見えるとは限らない。それでも彼らはペンを握り、筆を振るう。もしかするとピカソの作品からは、その作業の苦しみは少し見えにくいかもしれない。だがジャコブの『聖マトレル』三部作(1911〜14年)には如実に、自らの詩が「嘘」でしかないと苦悶するジャコブ自身の芸術的・宗教的葛藤が語られている*21。
嘘と楽しみ
真実を疑い、苦しみながら創作するなんて無粋なことはやめて、嘘は嘘として楽しめば良い……そんな答えを出した作品として、最後にヴァン・ドンゲンの1914年の油彩画《楽しみ》(図5)を紹介し、この記事を終えたい。この作品は、昨年の初夏に汐留ミュージアムで行われた展覧会で展示されていたので、実物をご覧になった方もいるだろう。女性は片手に筆を持ち、もう片方の手にはパレットを持っている。彼女の前にあるのは、画家が同年に描いた作品《鏡嬢、首飾り嬢、ソファ嬢》(図6)だ。
《楽しみ》が奇妙なのは、女性が制作中であるにもかかわらず、汚れやすい白いドレスを着て、動きにくいハイヒールの靴を履き、不必要に着飾っている点である。また彼女が描いているのが彼女自身の絵ではなくドンゲンの絵であることも、注目される。これは女性画家の肖像なのではない。ドンゲンは、現代の彼のアトリエを舞台にして、ドンゲンの絵を制作中の〈絵画〉の擬人像を描いているのだ。ドンゲンの描く擬人像は、異国情緒あふれる調度品を置いたシンプルなデザインの家具に囲まれ、すらりとした流行のシルエットに身を包み、ショートカットの襟足から白いうなじを見せている。
画中画では、鏡を持った女性像が、まるで女性画家の姿を反射した鏡像であるかのように描きこまれている。ただし作品は全体として、鏡に映る現実の追求ではなく、白と赤で彩られた平面がもたらす装飾性で飽和している。ここで鏡は、鏡像的な再現性を意味するのではなく、〈絵画〉の擬人像と、絵に描かれた「鏡穣」とのあいだのアナロジーを打ち立てる機能を果たしている。この二人の人物像が関連づけられることによって、〈絵画〉の擬人像は、絵を制作中であるというよりは、化粧の最中であるかのように見えてくるのである。
つまりここでは、内容の上でも形式の上でも、芸術と装飾、絵画術と化粧術、現実と虚構との境界が、あえて曖昧にされている。ここでドンゲンは、女性を欲望の対象として客体化するのではなく、むしろこの絵の主題の通り、化粧や装飾という、女性的なものとされていた「楽しみ」そのものに身を浸し、自らの創造性の本質をそこに見出そうとしているかのようである。
他方、ドンゲンが化粧のうちに見出した「楽しみ」の飽和は、男性中心主義的な文化のなかで男性作家こそが抱きえた楽観的なユートピア的ヴィジョンであることも、書き添えておこう。結局のところ、彼が色を塗っているのは彼の絵であって、彼の身体そのものではないのだ。絵画平面がいかに装飾や化粧へと変容しようと、彼自身の現実の身体は変わる必要はなく、安全な位置にとどまり続ける。
これに対し、芸術表現を化粧術に喩える言説が女性蔑視と伝統的には結びついていたことを勘案すれば、女性作家にとっては、化粧術を想起させるような表現を使用することは、男性よりも大きなリスクとなり得るものだった。彼女たちが取り組んでいるのは芸術の枠組みの拡張といった大それた挑戦などではなく、自分たちの日常の営みの延長でしかない、と捉えられかねないからだ。だがそうしたリスクを逆手にとって、自らの身体の延長線上に芸術を置くことで、よりラディカルに権威への挑戦を試みる芸術家たちも存在した。嫌悪され蔑まれた対象にこそ芸術的な価値を認めることが、ピカソやドンゲンの前衛的な振る舞いの核心にあったとすれば、その価値逆転の舞台に、作品だけでなく自らの身体そのものを置き、進んで自らに化粧を施し、仮面をかぶって、自己のアイデンティティを危険に晒すような芸術実践に取り組んでいた芸術家たちもいたのである。
このことは、芸術における「仮面」や「仮装」というテーマにも関連する。連載の中でまた別の機会に取り上げよう。
注
*1 Roger de Piles, Cours de Peinture par Principes, Paris, 1708, p. 347. このことはジャックリーヌ・リシテンシュテインをはじめ多くの研究者が指摘してきた。日本語で書かれた先行研究としては次のものがある。村山雄紀「〈イメージ〉の「化粧=虚飾」――ロジェ・ド・ピールの絵画論をめぐって」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』65号、2020年639〜654頁。
*2 Jacquline Lichtenstein, “Making Up Representation: The Risks of Feminity,” Representations, no. 20 (Special Issue: Misogyny, Misandry, and Misanthropy), Autumn, 1987, p. 77-87.
*3 Denis Diderot, « Salon de 1767 », Écrits sur l’art et les artistes, Paris, Hermann, 2007, p. 43.
*4 Jean-Jacques Rousseau, Œuvres Complètes, t. 1, Paris, Gallimard, 1959, p. 1029.
*5 Paul Gauguin, « Mensonge de la vérité, dans Daniel Guérin (éd.), Oviri. Ecrits d’un sauvage, Paris, Gallimard, 1974, p. 177. 次の訳文を参考にした。ポール・ゴーギャン「偶感抄」、ダニエル・ゲラン編『オヴィリ 一野蛮人の記録』岡谷公二訳、みすず書房、1980年、184頁。
*6 Maurice de Zayas, « Picasso speaks » [May 1923], Marie-Laure Bernadac et Androula Michaël, Picasso, propos sur l’art, Paris, Gallimard, 1998, p. 19.
*7 松井裕美『キュビスム芸術史――20世紀西洋美術と新しい〈現実〉』名古屋大学出版会、2019年。
*8 プラトン『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波書店、1967年、62頁。なお、以下の説明は部分的に、すでに次の論文で触れた内容と重複する。松井裕美「色彩における物質性と聖性――イヴ・クラインの芸術実践における聖別と涜神のあわい」、木俣元一・佐々木重洋・水野千夜依編『聖性の物質性――人類学と美術史の交わるところ』三元者、2022年、593〜626頁。
*9 ジャン=クロード・レーベンシュテイン「ビューティー・パーラーにて」浜名優美訳、ジャン・ボードリヤール編『化粧』今西仁司監修、リブロポート、1986年、135頁。
*10 フランツ・マルク「精神的な財宝」『青騎士』、岡田素之・相澤正己訳、白水社、2020年、15頁。
*11 フランツ・マルク「ドイツの『野獣派』」、同上書、22頁。
*12 『カンディンスキー著作集1』西田秀穂訳、1979年、23〜24頁。
*13 同上、60頁。
*14 ルドルフ・シュタイナー『色彩の本質』高橋巖訳、イザラ書房、1986年、61頁。
*15 シャルル・ボードレール「現代生活の画家」(1863年)『ボードレール批評2』阿部良雄訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1999年、203頁。
*16 同上、204頁。
*17 Emile Zola, « M. Manet » (7 mai 1866), dans Robert Lethbridge (éd.), Critique littéraire et artistique, t. I, Paris, Classiques Garnier, 2021, p. 153.
*18 この用語は、ゾラの批評以降、印象派の芸術家たちに普及することになる。Joachim Pissarro, « Aux sources de l’art moderne », traduit de l’anglais par Hélène Tronc, Cézanne et Pissarro, 1865-1885, cat. exp., Paris, Musée d’Orsay, 2006, p. 36.
*19 Max Jacob et François Garnier (éd.), Correspondance, 1876-1921, Tome I, Paris, Édition de Paris, 1953, p. 31.
*20 Ibid. , p. 34.
*21 このことについては次の論文で詳述した。松井裕美「「キュビスム文学」における科学者の視点と虚構の世界――マックス・ジャコブ『聖マトレル』とブレーズ・サンドラール『モラヴァジーヌ』」、中村靖子編『非在の場を拓く 文学が紡ぐ科学の歴史』春風社、2019年、145〜188頁。
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手