『掌の美術論――触覚と想像力に』、2026年7月2日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
構成的筆触と浅浮き彫りの空間
制作中の画家の身体の動きを知る手がかりとなるのが筆触である。具体的な作品として、ここではオルセー美術館にあるセザンヌの《サント・ヴィクトワール山》(図1)を見てみよう。
セザンヌの後期の作品には、少し長めの筆触を同じ方向に斜めに置き、それらの筆触が集まった部分に面的な印象を生じさせるような特徴が認められる。セザンヌ研究において「構成的筆触」と呼ばれるものである*1。このタッチは、わずかに傾きを持っているかのような印象もまた与えるので、絵画平面上に、切子のような浅い奥行きの虚構空間を生み出す。ただし構成的筆触が形成する各々の色面の輪郭は、多くの場合、はっきりとした輪郭線で規定されているわけではないので、切子といっても、江戸切子のガラスの表面のように図案化された幾何学の規則性は有していない。つまりセザンヌの構成的筆触は、切子のように、傾きを持ち硬質な印象を与える面を貼り合わせるようにして風景を表現するのだが、本来切子に備わっているはずの幾何学的合理性がそこには欠けているのである。
例えば山肌の一部(図1)を拡大してみよう。同じ方向に並べられた下方の暗い灰色のタッチが、桃色のタッチから成る面に重なるように置かれている。遠くから見ると前方に飛び出て見える桃色の面は、近づいてみると、それよりも後退しているはずの面から突き上げられ、輪郭を曖昧にしつつ、完全に溶け合うことなく、独特の緊張を伴う関係を生み出している。色面の重なりを生み出すことで、絵画全体に揺らぎをもたらすようなこの筆触を、平倉圭は「クラスター・ストローク」と呼んでいる*2。
つづきは、単行本『掌の美術論』でごらんください。
身体を通して、世界に触れ、世界と戯れ、世界を模倣し、そして世界とずれていく。そのずれの中にこそ、芸術の可能性は宿っている。
2026年7月2日発売
松井裕美 著『掌の美術論――触覚と想像力に』
四六判上製・352頁 本体価格4000円(税込4400円)
ISBN:978-4-326-85207-9 →[書誌情報]
【内容紹介】遊びが手触りや感覚を頼りに新たなゲームや楽しさを創造し、ときに新しい認識や価値を開いていくように、触覚を軸にした鑑賞の方法を提示する。触覚に関わる美術史を整理したうえでフェミニズムや歴史・記憶と芸術作品の関係など、現代的な問題意識を織り込んだ作品解説を通し、触覚と想像力が拓く遊戯場としての美術史を紡ぎだす。
》》》バックナンバー ⇒《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)



