掌の美術論 連載・読み物

掌の美術論
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)

1月 23日, 2024 松井裕美

 
 

セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)

 
 
構成的筆触と浅浮き彫りの空間
 
 制作中の画家の身体の動きを知る手がかりとなるのが筆触タッチである。具体的な作品として、ここではオルセー美術館にあるセザンヌの《サント・ヴィクトワール山》(図1)を見てみよう。
 

図1 ポール・セザンヌ《サント・ヴィクトワール山》1890年ごろ、オルセー美術館

セザンヌの後期の作品には、少し長めの筆触タッチを同じ方向に斜めに置き、それらの筆触が集まった部分に面的な印象を生じさせるような特徴が認められる。セザンヌ研究において「構成的筆触」と呼ばれるものである*1。このタッチは、わずかに傾きを持っているかのような印象もまた与えるので、絵画平面上に、切子のような浅い奥行きの虚構空間を生み出す。ただし構成的筆触が形成する各々の色面の輪郭は、多くの場合、はっきりとした輪郭線で規定されているわけではないので、切子といっても、江戸切子のガラスの表面のように図案化された幾何学の規則性は有していない。つまりセザンヌの構成的筆触は、切子のように、傾きを持ち硬質な印象を与える面を貼り合わせるようにして風景を表現するのだが、本来切子に備わっているはずの幾何学的合理性がそこには欠けているのである。
 
 例えば山肌の一部(図1)を拡大してみよう。同じ方向に並べられた下方の暗い灰色のタッチが、桃色のタッチから成る面に重なるように置かれている。遠くから見ると前方に飛び出て見える桃色の面は、近づいてみると、それよりも後退しているはずの面から突き上げられ、輪郭を曖昧にしつつ、完全に溶け合うことなく、独特の緊張を伴う関係を生み出している。色面の重なりを生み出すことで、絵画全体に揺らぎをもたらすようなこの筆触を、平倉圭は「クラスター・ストローク」と呼んでいる*2

 

図1の部分拡大

ここで、セザンヌのタッチが生み出す効果について、伝統的な風景画、例えば17世紀の風景画家クロード・ロランが描くような牧歌的な風景(図2)と比較しながら考えてみたい。ロランの風景画では、前景と遠景といった空間感覚やモチーフの性質によって、繊細なタッチが使い分けられている。透き通るような空に、軽い雲が浮かぶ。草むらや木の葉は柔らかい質感を持ち、かき分ければその向こうにも風景が広がっているということを想像させてくれる。この絵は、体の重みを忘れて軽やかに中に入っていくことを夢想できるような没入的効果を持つ絵画であり、まさに臥遊の楽しみを喚起してくれる。

 

図2 クロード・ロラン(クロード・ジュレ)《牧者と群れのいる風景》1630〜35年。ルーヴル美術館

これに対しセザンヌの絵は、絵の中に入っていこうとすると拒まれるようなもどかしさを、見る者に与える。もちろん虚構の奥行きは存在する。しかしそれは、切子のように浅い奥行きである。空を遠くのものとして眺めようとしても、視線は浅い奥行きしか持たぬ切子面にぶつかることになる。山肌のようにランダムな凹凸を持つ硬質なモチーフであれば、構成的筆触はある程度理にかなったものであるようにも感じられるのだが、セザンヌは空や風に揺れる松の葉、草むらといった、不定形のものや柔らかいものにもこの筆触を適用していく。松の葉の一群は空に食い込み、せめぎ合う。またセザンヌが描く山肌は、その絵単体で見るときには違和感を感じないが、霞むように描かれた遠景のロランの山と比べると、遠くに望む山の一部というよりも近くに臨む岩肌のように見える。セザンヌが筆触で山肌の凹凸を必要以上に強調しているからだろう。
 
 それはまさに、永井隆則が述べるような、「見る者の眼差しを跳ね返す、硬質な、異次元の『触視性』に満ち満ち」たものなのである。セザンヌの絵は、自然対象に対して感じるような「触覚性」とは異なるような「触視性」を喚起する、と永井は述べる。この触視性とは、手の感覚だけでなく、身体全体の運動感覚を呼び起こしながら作品を見るような知覚である。鑑賞者の視線は、「セザンヌの絵の中で、身体の奥深くで働く平衡感覚を揺さぶられながら、様々な物体に突き当たり、それらの間の距離を測り、動き回る*3」。
 
セザンヌの絵に触れるメルロ=ポンティ
 
 触視しながらセザンヌの絵を見るためには、現実の自然を前にしたセザンヌと同様、鑑賞者である私たちもまた、全身を「感光板」のような感度の高い表面する必要がある。それは視覚だけでなく、平衡感覚を含む身体の他の諸感覚を揺さぶられるような体験だ。もちろん、「感光板」としてのセザンヌが自然から受け取り絵として実現した諸感覚が、実際のエクスの自然そのものとは同一ではないのと同様、私たちがセザンヌの絵から受け取る感覚もまた、セザンヌの絵の中のイメージそのものと同一ではない。なぜならば私たち一人一人の持つ感光板=感覚器官は、それぞれ別の人生が生み出した異なる組成の溶剤に浸されており、感光=鑑賞のたびに異なるニュアンスを生み出すからだ。
 
 だがそのことは、セザンヌにとっても鑑賞者にとっても問題にはならないはずだ。イメージの同一性ではなく、イメージという知覚可能なものを通した世界との関係性こそ、重要なのである。セザンヌが何度も故郷の山を描いたのは、画家が身体全体で触れようとした実際の自然と、「感光板」としての画家の身体が捉えた諸感覚、そして「諸感覚の実現」としての絵とのあいだの完全な合致(すなわち外部自然の模倣としての絵画)を求めていたからではなく、むしろ知覚可能な世界と画家とのあいだの「触れる/触れられる」関係を、制作という行為を通してその都度築こうとしていたからではなかったか。高村峰生がセザンヌのこうした性質を言い当てるものとして引用するメルロ=ポンティの「セザンヌの疑惑」からの一節も思い起こしてみよう。すなわち、セザンヌは世界が「どんなふうにしてわれわれに触れる・・・かをさせようとのぞんだ*4」。
 
 メルロ=ポンティは『知覚の現象学』(1945年)や『眼と精神』(1966年)の中で、世界がわれわれに触れることで外部からやってくる感覚と、自分の内側から湧き上がる感覚の双方に鋭く反応するセザンヌの制作態度と絶えず対話している。そのことによって彼は、身体的諸感覚を起点にした実在性の考察を展開した。メルロ=ポンティは『眼と精神』で次のように述べる。

人間の身体があると言えるのは、〈見えるもの〉と〈見られるもの〉、〈触るもの〉と〈触られるもの〉、一方の眼と他方の眼、一方の手と他方の手とのあいだにある種の交差が起こり、〈感じ-感じられる〉という火花が飛び散って、そこに火がともり、そして[中略]その火が絶え間なく燃え続ける時なのである*5

 こうした「不思議な交換体系」は、絵画の諸問題にもかかわるものだと彼は述べる。その具体的な取り組みを、彼は、自然に触れることでその「等価物」を内面に「迎え入れ」たセザンヌの絵画実践のうちに見た*6。画家の全身の感覚器官を感度の高い「表面」として捉えるとき、そこに触れてくるのは、世界の真実や理念といった形而上的なものではなく、世界の知覚可能な「表面」である。しかしそれは、内面に全く作用しないような表層同士の接触ではない。人は、自分が他者に触れられているときに感じる内的な身体感覚を、自分が触れている他者もまた、その肌によって感じているだろうと考えることができる。また自分が見ている対象が、単に見られている立場にとどまるだけでなく、自分に眼差しを返していると感じることもできる。同様にして画家は、世界の「表面」の知覚を介し、立場を反転させ、視点を交差させることで、知覚の対象となる世界にもまた、自分が自己に対し抱いているものと同様の存在の「深み」があることを知るのである。カジャ・シルヴァーマンにならってメルロ=ポンティ風の言い方に置き換えると、それは身体上の物理的な接触だけでなく、「世界が彼らに与えるものをみずからの精神の『表面』上で受け取ろう*7」とすることを意味する。
 
 メルロ=ポンティのそうした思考の展開は、モリスがセザンヌに向けた憧景にも、またクラウスがモリスに向けた考察にも、大きな影響を与えている。モリスがセザンヌの外套に触れたのは、その目的がセザンヌのタッチの技術的な模倣ではなく、その身体的な諸感覚に近づくことだったからだ。彼は、自己の指先とセザンヌを包んでいた外套との接触を介して、セザンヌと視点を交差させ、かつて存在していたエクスの画家の身体が持つ「深み」を探ろうとしたのだ。そしてクラウスがモリスの試みをメルロ=ポンティの現象学的考察と重ね合わせた際に、彼女が思い描いていたのは、セザンヌの絵を触視するモリスとメルロ=ポンティの姿であり、また来る日も来る日も決まった場所に腰を下ろして見つめた故郷の山を、まるでそばにある岩のように触視するセザンヌその人の姿でもあっただろう。
 
再び《盲目の時間》へ
 
 さて、一つの疑問が生じないだろうか。モリスが眼を閉じてその指で描いた《盲目の時間》は、視覚と触覚を切り離して、後者のみを重要視しているようにも思われる。しかしメルロ=ポンティにとって重要だったのは、「触れる/触れられる」関係だけでなく、「見る/見られる」関係でもあったはずだ。メルロ=ポンティは、視覚だけでなく触覚もまた・・・重要である、と言っているのであり、視覚を否定しているわけではない。なぜモリスは、眼を閉じる必要があったのだろう。触覚の優位を示すことで卓越した彫刻家の技能を主張するという、パラゴーネの中に認められたロジック(前回の記事を参照)とは、少し違う理由がそこにはありそうだ。
 
 ここで重要なのは、モリスの「盲目の時間」が限定されたものであるという点である。この限定された時間は、実のところ、視覚を忘れるためのものではなく、視覚的な体験と触覚的な体験が結びついていた記憶を手繰り寄せるためのものだった。彼は1997年には《盲目の時間 V》と《 盲目の時間 VI》において、彼の記憶の中にあるサント・ヴィクトワール山を描き、版画化している。いずれもやや異なる形態ではあるが、サント・ヴィクトワールの輪郭や、その山肌を描いたセザンヌのタッチを捉えたものとなっている。セザンヌのタッチが生み出す浅い奥行きの視覚的空間に、手を伸ばして触ろうとしたモリスの指の力が、そのままタッチとして変換され、紙面に残されたのである。指の跡は筆跡よりも、描く者の身体の動きを直接伝えるものになっている。グッと力を込めて押し当てた部分には、大きな濃い黒点ができる。少し力を抜いて指を滑らせた部分には、その力具合に合わせた濃度の、またその動きに相当する固有のリズムと方向を持った色の跡があらわれる。運指の強弱が奥行きの感覚を生み、その方向が尾根や斜面の傾きを感じさせる。瞳を閉じた彼の、心の眼にも、運指を導くためのコンパスがあるのだろう。このコンパスは毎回同一の形態を複製するような規則正しさこそ持たない。しかしセザンヌの絵を触視した記憶を辿りながら、そのプロセスを紙面上で可視化するのには、十分な効能を発揮している。
 
 モリスがこの版画制作の翌年に発表した論考「セザンヌの山」を読めば、こうした実践が視覚と触覚双方の記憶にもとづくものだったことがわかる。セザンヌの絵はモリスに、身体に刻まれた「乾いた夏の暑さ」や、「熱い微風に揺り動かされた草木の震えを目で見た感覚」を喚起する*8。モリスはまたそこに、幼少期からセザンヌがその身を寄り添わせていた故郷の自然の根源的記憶への回帰ではなく、記憶の喪失という現象への画家の対峙をも読み取ろうとする。子供時代の根源的記憶は失われる一方だが、セザンヌは時間に抗って同じ場所に辿り着こうとするのではなく、むしろオリジナルの体験とのずれを生じさせ、自然と新たに出会い直していく。モリスの表現によれば、それは呼び戻す(recalling)と言うよりもむしろ、名づけなおす(renaming)行為なのだ。そこに生まれる「脈動は、時間を打ち負かすというよりも、まるで生の条件としての時間性と、その対極にある死という静止を区別するかのように、時間のメタファーを見つけ出そうとするものである」と、モリスは言う*9
 
 セザンヌが視覚化した時間のメタファーは、決して心地よさをもたらすものではない。それはモリスにとって、吐き気すらもよおすものである。モリスは不快さを生じさせるものの正体について、次の二つを挙げる。第一に、「視覚の難なく見通すことができる能力」と「腕が届く範囲の限界」とのあいだの溝であり、第二に「有機的で有限な肉体が、無期的で無限な肉体と対峙する哀しみ」である。
 
 セザンヌの作品は、「地平線を横断する眼」を感じさせるものでありながら、同時に、透視遠近法を放棄して浅い奥行き空間しか生み出さない構成的筆触を多用している。そのせいで、視覚的な眺望を持つ没入可能な虚構空間(例えば先述のクロード・ロランのような風景画を思い浮かべると良い)を求めてセザンヌの風景画を前にしても、「あらゆる身体動作の苛立ちと窮屈さ」を感じざるを得ない*10
 
 また人間が生死を繰り返す以前から存在してきた山と空を、永遠性を感じさせるような視覚的眺望のうちに表象することをあえて拒み、まるで手元にある身近な岩でも描くかのように、一瞬の高揚すら感じさせる「浮遊するタッチ」や「引きずるような筆の動き」で表現するセザンヌの絵は、壮大なるものをその手で掴もうとする無謀な試みに失敗し続ける人間の、「絶望と不完全さ」を突きつける*11
 
 だが画家は、そうした限界に怯むことなく、軽々と距離を越えることができるような視覚性を拒み、重さと厚みを持つ身体で触視し続ける。そうした視覚と触覚の齟齬、生死のあいだの深淵から生まれる「身振りの情念パトス」を、絵のタッチへと結実させる*12。自然との一体化や、幼児期の根源的な体験への回帰が問題にされているのではなく、そうした憧憬の対象と現在を生きる身体とのあいだにある深淵こそが、問題となるのだ。
 
 この深淵は、モリスが若い頃には感じることができないものだったという。モリスは8歳の頃、ネルソン・ギャラリーにあるサント・ヴィクトワール山の絵を初めて眼にしている。また10代後半の青年だった頃に、ミズーリ州の岩だらけの丘の中腹で夏の蒸し暑さの中イーゼルを立て、カンヴァスに青や緑の絵の具を塗りたくりながら、セザンヌが風景画の中にしばしば描いたシャトー・ノワールを思い浮かべていたという。しかし半世紀後に彼がセザンヌの風景画のうちに認めることになる、喪失との対峙の試みは、「若さには触れることができなかった力*13」であった。やがていくつかの死が引き起こした痛みを経験した後に、モリスはようやくセザンヌの作品が宿す静けさのうちに、「過ぎ去ったものへの喪」を「聞く」ことができたのだと言う*14
 
 セザンヌの晩年の風景画のうちに「喪」の声を聞いたモリスもまた、自然との同一化や幼少期の体験への回帰を求めようとはせず、そっと眼を閉じ、その心の指で、記憶の場を名づけ直していく。セザンヌの静かな「喪」は、単なる諦念に結びつくものなどではない。それは固有の重さと限界を持つ肉体によって、世界と出会い直す試みへと展開する。モリスもまた、そうした出会い直しの経験の中でセザンヌが感じたであろう「盲目の初期状態」にも似た感覚を、自らの身体で引き受けようとする。そこでは、体の重さを忘れさせるような没入的な眺望は、完全に放棄される。

奥行きと対象の視覚世界は、触感のアルゴリズムによってもたらされた別世界へと変換される。この風景は深淵となり、視覚的な深さは触覚=筆触タッチという曖昧なものとなり、そこでは触覚=筆触タッチが色として刻み込まれる。まるで筆触が色を読むことができるとでもいうかのように。まるで色が筆触に接近されたとでもいうかのように。あるいはまるで、〈記憶ムネモシュネ〉自身が、色の触覚=筆触タッチによりやってきたとでもいうかのように*15

 ここで視覚的体験は忘却されているのではない。記憶の中で呼び起こされ、名づけ直される、つまり触覚=筆触タッチという別のコードに変換されるのである。
 
 モリスにとってセザンヌの絵に見られる絵画形式とは、抽象絵画の誕生を予見させる様式以上のものを意味している。肉体の有限性を感じながらも無限のものと触れ合い、その「深み」を感じ、そうして受け取った諸感覚を絵の中で名づけ直す。セザンヌの絵とはモリスにとって、このような実践が結実したものなのである。モリスが《盲目の時間》において、限定された時間のあいだ盲目状態に身を置くのも、抽象的なヴィジョンを出現させるためではない。セザンヌの感覚と実践に瞳を、そして体全体を開いた過去の記憶を手繰り寄せ、自分の身体の動作を通して名づけ直すためなのだ。この行為はモリスに、自己の身体とセザンヌの身体とが別の個体であること、二人の感覚が同一のものとなることなど所詮不可能であるのだということを、意識させただろう。それでも同時に、セザンヌの感覚体験のうちにも自分のそれと似たものがあったのかもしれないという、奇跡ともいえるような類推アナロジーの作用を求める切実な思いもまた、そこにはあったはずだ。
 

 
 つまるところセザンヌのタッチとは、画家の手の運動の単なる痕跡以上の何かなのである。メルロ=ポンティやモリスにとって、それは私たちの身体全体を、感度の高い感光板へと作り変える装置であった。この感光板は、実際のカメラのように、視覚情報のみを撮り記録するタイプのものではない。それは個々人の経験というそれぞれ異なる組成を持つ溶剤に浸されていて、「感光」するその度ごとに微妙に異なるイメージを生み出すことになる。
 
 セザンヌの作品はまた、同じ人が触れようとするそのたびに、異なる感覚を私たちに与える。私たちの経験が刻々と更新され続けていくにつれ、「感光板」となった私たちの感覚器官が浸される溶剤もまた、刻々と変化しているからだ。それはちょうど、毎日歩く散歩道も、実はよくよく注意してみればその都度異なる身体的な体験を与えてくれるのと似ている。モリスの《盲目の時間》が、その都度異なる跡を作り出すのもこのためだ。
 
 さらにセザンヌの作品を繰り返し見続けることによっても、溶剤は以前のものとは別の組成になっていく。そうして気づけば、世界がまったく別様の姿を見せるということがある。私はエクスやその周囲の南仏の土地を訪れるたびに、ざわめく松の葉や剥き出しの赤土が、ふと構成的筆触に変換されて見えることに驚かされる。この構成的筆触から成る風景は、セザンヌの風景画を模倣するものではないが、彼の身体的な経験に触れようとし、結果として気づけば彼の筆捌きをみずからの眼差しのうちに反復するような、無意識のパントマイムなのだ。
 
 作品を見るという体験が、その度ごとに異なるものである以上、イメージを歴史的に語る行為もまた、巨匠や傑作から成る固定された系譜とは異なる本質を持つということになる。日々更新される体験とその記憶は、感光板を浸している溶剤に注入され、世界との新たな出会いを準備する。私は美術史について学生たちに講義する立場にある。しかし個々の作品について語り始めるや否や、とどまることのない動きの中に放り込まれたように感じる。一つ一つの作品をじっくり見れば見るほど、芸術の過去についての知識は失われていないにもかかわらず、その知識が示していたはずのクリアな眺望が失われ、私は一時的に盲目になった様に感じる。だがそこから手探りで新しい連なりを見つけ出すことにこそ意味があるようにも思う。歴史的な知とは、語り継がれるだけでなく、語り直しの行為を絶えず伴う。それは、見通しを欠いたローカルな地点から、現在と過去との、生と死とのあいだの深淵が生み出す喪失の感覚に耐えながら、記憶と知覚を頼りに見続けること、探り続けることのうちにある。過去を知ろうとすることは、固有の重さと限界、厚さを持った身体こそがなしうる、その都度更新される世界との「触れ合い」の実践でもあるのだ。
 
 




*1 初出は次の通り。Theodore Reff, “Constructive Stroke,” Art Quarterly, vol. 25, no. 3, Autumn 1962, pp. 214-226.
*2 平倉圭『かたちは思考する』東京大学出版会、2019年、41〜45頁。
*3 永井隆則「感覚の実現」、『セザンヌ――近代絵画の父とは何か?』、「第二部 セザンヌ基礎知識」三元社、2019年、26頁。
*4 高村峰生『触れることのモダニティ ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミン、メルロ=ポンティ』以文社、2017年、221頁。次の箇所からの引用である。M. メルロ=ポンティ「セザンヌの疑惑」『意味と無意味』滝浦静雄・粟津則雄・木田元・海老坂武訳、みすず書房、1983年、25頁。
*5 M. メルロ=ポンティ『眼と精神』滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、1966年、260頁。
*6 同上。
*7 カジャ・シルヴァーマン『アナロジーの奇跡 写真の歴史』松井裕美・礒谷有亮訳、月曜社、2022年、167頁。
*8 Robert Morris, “Cézanne’s Mountains,” in Critical Inquiry, vol. 24, no. 3, Spring 1998, p. 816.
*9 Ibid., pp. 817-818.
*10 Ibid., p. 819.
*11 Ibid.
*12 Ibid., p. 820.
*13 Ibid., p. 823.
*14 Ibid.
*15 Ibid., p. 827.

 
 
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)

松井裕美

About The Author

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。