夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
㉙地域活性化とアントレプレナーシップ(2)

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
Published On: 2024/8/30By

 
一言で地域活性化と言っても、企業と違い地域にはさまざまな利害関係者が存在し、その調整に大きなコストがかかります。地域においてはアントレプレナーが果たす役割も多様で、様々な活動が求められます。今回は地域と企業の相違点に焦点を合わせて、地域活性化におけるアントレプレナーの役割について触れていきます。[編集部]
 
 
 アントレプレナーシップを地域活性化の文脈で考える時、いわゆる企業単位で展開されるアントレプレナーシップと相違点や共通点があることを前回(第28回)の後半で触れました。共通点は、アントレプレナーが存在すること、仮説と検証を繰り返しながら前に進むこと、経営資源の乏しさを行動力や創意工夫によって乗り越えることでした。それでは相違点とはどのようなことでしょうか。高知県馬路村のケースでは、当時の村の主要産業と活性化しようとする産業の違いを指摘しました。このことが意味することは、ゆずを活用した特産物の開発とはいっても、その主体が農業協同組合である以上、村からの支援は不可欠になります。しかし、当時の村において相当の力を有していた林業関係者が農業の振興にどの程度積極的になってくれるのかは未知数です。企業では、少なくともその組織内では目指す方向は同じですが、地域単位になると、さまざま利害関係者が存在します。その調整を誰がどのように行うのか、企業単位で展開される場合との違いはどのようなことであるのかが今回のテーマであり、アントレプレナーシップを地域活性化に適用する場合の大きなチャレンジでもあります。
 
柳川市の水路
 
 まず、事例の紹介から始めます。場所は福岡県柳川市、アントレプレナーに相当する人は市の係長、やり遂げたことは埋め立て寸前であった水路を埋め立てずに、市民一丸となってよみがえらせたことです。
 
 福岡県柳川市は筑後地方の南西部にあり、水の都として知られ、中心部の2キロ平方キロメートルの中に60キロメートルの水路が、柳川市全域ではおよそ900キロメートルの水路が張り巡らされているといわれます。
 

図表1 柳川市の場所

地図データ©2024 Google

 
 柳川市の水路は川下りなどの観光資源としても重要ですが、それにも増して有明海に近い筑後川のデルタ地帯、湿地帯の上に発展した街にとっては生活の基盤、つまりなくてはならないものです。水路がこの地域を縦横に流れることで、水を含んだ湿地帯の土地が維持されてきたからです。水路がなくなると、柳川市を支えきた土地から水分がなくなり、地盤沈下を起こしてしまうと言われてきました。
 
 実際に、同じ筑後川のデルタ地帯にある佐賀県白石平野では、農業用水を水路ではなく地下水汲み上げに頼った結果として深刻な地盤沈下に見舞われています。
 

図表2 柳川市の水路

資料:写真AC(https://www.photo-ac.com/)によるフリー素材写真。

 
係長の反乱
 
 そして、昭和52(1977)年には柳川市も同じ運命をたどってしまうかもしれない危機が訪れます(田村明(1987)『まちづくりの発想』岩波新書、スタジオジブリ企画制作「柳川掘割物語」(DVD)参照)。
 
 生活の近代化とともに水道が普及し水路が生活から離れ始め、生活雑排水が水路に流れ込むようになり、水路はヘドロ化し、ゴミで覆われるところも散見されるようになりました。こうなると、水路は人から背を向けられ、ますます汚れるという悪循環です。
 
 その結果、近代都市にふさわしいコンクリート張りの下水路にするための計画案が策定され、市議会や県の承認も得、補助金を受けて当時の金額で20億円という大金が投じられることになりました。
 
 そして、この工事を実施するために新たに都市下水道係が新設され、その係長に任命された人が、柳川市における地域活性化のアントレプレナーにあたる広松伝(ひろまつ・つたえ)氏です。
 
 本来であれば、水路を埋め立て、新たに下水道を新設することが任務でしたが、広松氏は水路が果たしてきた役割が生活用水の供給だけでなく、柳川市という地域を地盤沈下やさまざまな自然災害から守ってきたことであることに着目し、当時の古賀杉夫市長に下水路計画の中止を直訴しました。
 

図表3 古賀杉夫氏(元柳川市長)(左)と広松伝氏(右)

出所:スタジオジブリ企画制作「柳川掘割物語」(DVD)の1時間45分41秒の場面(古賀杉夫氏)と1時間43分6秒の場面(広松伝氏)から。

 
 古賀市長は、すでに県とも相談し、地元選出の議員とも会合を重ね、新年の挨拶文書でも「美しく豊かな生活都市の創造」の小見出しの中で下水路の建設に触れていました。その段階で、下水路計画を推進するはずである現場の係長からの中止提案です。
 
 普通は門前払いと思います。しかし、古賀市長は次のように広松氏に伝えました。
 
 昔の姿に戻せるならそれに越したことはない。時間の猶予を与えるから、半年後に君の考えを実行できる、万人が納得できる計画書を持って来なさい。
 
 市長の理解を得るだけでも大変なエネルギーが必要であったと思いますが、さらにそこから先のこと、つまり下水路建設に期待していた行政内外の人たちへの対応、ゴミ捨て場のようになっていた水路の市民による清掃実施などを考えると、どれだけの行程が広松氏を待ち受けていたのかは想像することすら困難です。
 
 しかし、広松氏は最後までやり遂げ、市民の手によって中小の水路に至るまで、昔の水路の姿を取り戻しました。
 
第1、第2、そして第3のアントレプレナー
 
 柳川市の水路復活の話は、まちづくりに関心を持つ人の間では知らない人はいないほど有名ですし、広松氏に関する動画資料もインターネットで見ることができます。また、どのような活動にもいろいろ側面がありますから、この活動に対する意見や考え方も一様ではありません。そのことをお断りしたうえで話を進めます。また、筆者は、柳川市を題材にした『まちづくりの発想』の著者である田村明氏(当時は法政大学教授)からこの話を教えていただき、その後、さまざまな地域活性化を調査する中で、次に紹介するフレームワークの原点になった事例でもあります。
 
 それでは、地域活性化におけるアントレプレナーシップが「純粋」なアントレプレナーシップと異なる点を改めて整理します。
 
 ひとつには地域には多種多様な利害関係者がいることです。「純粋」なアントレプレナーシップは、①新しい事業を、②新しい組織を作って始めることですが、地域におけるアントレプレナーシップは、一般に企業内(社内)ベンチャーと言われているものと同じように、「既存」の組織やコミュニティの中における新しい試みです。
 
 もうひとつには、地域活性化におけるアントレプレナーシップは、地域に大きくて元気な企業を作り出す試みとは違うことです。地域に大きな企業が誕生することを否定しているのではありません。ここでは地域の住民、小さな企業(個人事業主など)が数多く主体的に活性化の取り組みに参加しているのかが重要です。柳川市の取り組みでは、住民一人ひとりが、少しでも多く浚渫(しゅんせつ)作業に参加するということです。広松氏の提言どおりに中小水路が残されたとしても、そのドブさらいのような作業を柳川市の民間専門業者が行うのでは、地域活性化の目的の半分が達成されたに過ぎません。
 
 そして、これら2つの相違点に加えて、「純粋」なアントレプレナーシップでも必要不可欠な存在であるアントレプレナーの存在です。
 
 図表4を参照しながら、柳川市の事例で確認してみると、まず、広松氏がいますが、彼は地域活性化におけるアントレプレナーシップの枠組みの中では、第2アントレプレナーに相当します。前回連載の馬路村の事例ですと、東谷望史氏が第2アントレプレナーです。一般には、この第2アントレプレナーが、企業の創業者のような役割を果たしますから、社会的に最も注目されることが多いのです。
 
 第3アントレプレナーは古賀杉夫市長です。社内イノベーションの理論では「正当性」という概念がありますが、簡単に言えば「お墨付き」のようなものです。この連載でも取り上げた岩手県旧沢内村の医療無料化の挑戦のように深沢晟雄(ふかさわ・まさお)村長が先頭に立って行う場合は別として、一般には地域の中で、それほど「偉くない」人が中心になって動き始める場合、その人だけに任せると邪魔が入ります。それを防ぐ役割を果たすために第3アントレプレナーが必要です。
 
 俺が認めてやらせていることだ。文句を言うな。
 
 このようなことを言えるくらいの人が第3アントレプレーになります。
 
 そして第1アントレプレナーです。先ほども触れたように、柳川市が県から6割の補助金を調達して行おうとしたことは水路をコンクリートで固めた下水路にすることでしたが、それを阻止するだけでは広松氏が考えていたことの半分しか実行しないことになります。
 
 広松氏の意思は、市民の手で汚れた水路に清流を取り戻し、これからも清流を維持することにありました。それには率先して広松氏の考えに共感し、自ら先頭に立って作業の現場に立つ人、他の住民を説得する人が必要ですし、先頭に立った人に続く市民がいなくてはなりません。このような人たちのことをここでは第1アントレプレナーと呼んでいます。馬路村の例では、東谷氏の言葉を信じて柚子の栽培を続けた農家、柚子加工品を作り続けた人たちに相当します。
 
 まとめると次のようになります。
 
 第1アントレプレナー:地域活性化の直接の担い手
  例)一般市民や農家、商店主などを含む事業主や企業経営者
 
 第2アントレプレナー:第1アントレプレナーが活躍できる場所や制度を作り上げる人
  例)地元農家が栽培する農産物の特産品開発を行う人、一般市民が参加できる朝市を復活させた人
 
 第3アントレプレナー:第1アントレプレナーや第2アントレプレナーを支援する人
  例)地域の首長、地域経済の重鎮
 
 もちろん、地域の取り組みの違いによって、第1アントレプレナー、第2アントレプレナー、そして第3アントレプレナーの果たす役割やその大きさも異なります。連載の第4回で取り上げた黒川温泉の場合は、第3アントレプレナーに相当する人は数少ない露天風呂を利用する観光客であり、地域の首長や有力者ではありませんでした。また、沢内村のように、地域の首長が先頭に立って進めていく場合は、第2アントレプレナーと第3アントレプレナーが同一人物になったりします。
 
 しかし、いずれにしても、第1アントレプレナー、第2アントレプレナー、第3アントレプレナーの役割が存在し、それぞれが有機的につながることが地域活性化の基本条件ということはできるでしょう。
 

図表4 地域活性化におけるアントレプレナーシップの構造

資料:筆者作成。

 
地域づくりは人づくり
 
 一村一品の提唱者であり、また実践者でもあった元大分県知事の平松守彦氏は、その著書『グローバルに考え ローカルに行動せよ』(東洋経済新報社、1990年)の中で、一村一品運動を広めるために何を行ったかと尋ねられた時、「第1には人づくり」と答えています。
 
 新しいことに挑戦する人材が必要であることは当然ですが、そのうえで、そのような挑戦を理解できる人材の両者が揃っていなければ、地域の問題を地域で決めることは困難を極めるというのです。
 
 つまり、第2アントレプレナーの存在は必要条件ですが、第1アントレプレナーや第3アントレプレナーのように第2アントレプレナーの調整を理解できる人の存在は十分条件であり、第1アントレプレナーと第3アントレプレナーがいないと駄目であると言っています。
 
 人づくりという視点では、平松守彦氏は『グローバルに考え ローカルに行動せよ』の中で次のようにも述べています。

「ただ、ここでわたくしが申しておきたいことは、「一村一品運動」は単なるモノづくりではないということです。確かに特産品づくりという一面ももっていますが、それだけではないのです。例をあげますと、東京名物に「虎屋のヨウカン」があります。たいへんおいしいし、全国にその名を知られています。しかし、これは一村一品とは申しません。わたくしのいう一村一品とは、大田村の生シイタケや千歳村のハト麦みそ、国東町のキウイフルーツなどに代表されるものです。」(125頁)

 それらはとらやの羊羹とどこが違うかといいますと、その町や村の若者たちが自分たちの努力でモノをつくりだし、それによって地域に活力がみなぎって、若者が定住していくということが期されている点にあります。
 
 最後は人、と言ってしまうと、結論としては素っ気ないものになりますが、真実も現実もそうなのだと思います。仕組みも制度も大切ですが、それを動かし活用するのはやはり人です。
 
 特効薬はありませんが、筆者はアントレプレナーシップ教育をさまざまな年齢層で受けられるようにすることが有効と考えます。
 
 その理由は大きく分けると2つあります。ひとつは、わが国ではアントレプレナーに対する評価が世界的にみても低く、新しいことを始める人への理解が得られにくいからです。平松守彦氏が指摘している「人づくり」とは先頭に立って走る人だけでなく、それを応援する人も含んでいます。応援すべき人が反対に足を引っ張ってしまうような状況にしてはいけません。
 
 もうひとつは、新しい試みは試行錯誤を繰り返しながら進みます。このことも連載を通して伝え続けていることです。つまり、時間がある程度かかること、そして失敗がつきものということです。「まだ結果がでないのか」「それ見たことか。やっぱりうまくいかなかったね」という声が多すぎると、進むものも進まなくなります。
 
 アントレプレナーには企業経営で大成功した人も多数いますが、今回紹介した広松伝氏や古賀杉夫氏、そして岩手県沢内村の深沢晟雄氏のように、行政の世界でチャレンジした人たち、馬路村の東谷望史氏のように、農業協同組合という組織のなかで新しい挑戦を試みた人たち、企業規模は大きくなくても必要とする人に必要なサービスを提供する人たちもいます。このような人たちがアントレプレナーであることを知ってもらうことができれば、地域の人たちにとって「挑戦」したい世界も広がっていくと思います。
 
 次回は「地域活性化とアントレプレナーシップ」の3回目になります。第3回では、地域活性化という活動の中で重要な哲学、考え方ともいえる「地域主義」について解説した後、地域活性化の永遠の課題ともいえる「地域の意思」について考えます。地域が進みたい方向は決してひとつではなく、また意思決定にかかわる地域の範囲をどのように考えればよいのかをテーマに取り上げます。
 
 
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか
⑬起業後のリスクや不確実性への対応
⑭起業家になるための能力・起業家に求められる能力(1)
⑮起業家になるための能力・起業家に求められる能力(2)
⑯アントレプレナーシップは私たちの世界に何をもたらすのか:起業活動の社会的意義とは何か
⑰アントレプレナーとは誰なのか
⑱市場を生き抜く「強さ」とは何か
⑲アントレプレナーを育てることは可能なのか
⑳アントレプレナーの資金調達(1) 
㉑アントレプレナーの資金調達(2) 
㉒アントレプレナーの資金調達(3) 
㉓アントレプレナーの資金調達(4) 
㉔アントレプレナーの資金調達(5) 
㉕起業家教育が目指すこと(1) 
㉖起業家教育が目指すこと(2) 
㉗計画が先か、行動が先か 
㉘地域活性化とアントレプレナーシップ(1) 

About the Author: 高橋徳行

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。
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