憲法

憲法学の散歩道
第37回 価値なき世界と価値に満ちた世界

フィリッパ・フットは、アメリカ合衆国のグラヴァー・クリーヴランド大統領の孫にあたる。オクスフォードのサマヴィル・コレッジを卒業した彼女は、同コレッジで長く哲学を教え、カリフォルニア大学をはじめとするアメリカの諸大学でも教鞭をとった。  彼女が1958年に公表した論文に、「道徳的議論」がある。論文の冒頭で、彼女はリチャード・ヘアの指令主義(prescriptivism)を取り上げている。……

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第36回 刑法230条の2の事実と真実

 今回はややこしい話なので、短めに済ませることにする。刑法230条には、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金に処する」とある。表現の自由との関連で、憲法学でもおなじみの条文である。『広辞苑』によると、「摘示」とは、「かいつまんで示すこと」である。隅から隅まで逐一にというわけではなく、要点を示すということであろう。……

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第34回 例外事態について決定する者

 カール・シュミットは『政治神学』の冒頭で、「主権者とは、例外事態(Ausnahmezustand)について決定する者である」と断言する。Ausnahmezustandは、非常事態と訳されることもある。  引き続いてシュミットは、主権概念は限界概念(Grenzbegriff)であるとする。限界概念とは、比喩的に言えば、遠近法の消失点である。われわれが暮らす、この世界だけが実在する世界だと思われている日常的な世界と、そんなものが存在するとは思ってもみなかった、尋常ではない外側の世界とを連絡する概念である。……

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第33回 わたしは考える?

「憲法学の散歩道」書籍化第2弾『歴史と理性と憲法と』が2023年5月1日に発売となりました。第32回までの連載分に書き下ろし2章分が加わり、長谷部さんならでは散歩道を進むと意外かつ奥深い世界が開けてきます。そして、お待たせしました。第3シーズン、はじまります。[編集部] 第33回 わたしは考える?  ルネ・デカルトは1596年3月31日、トゥレーヌ地方のラ・エ(La Haye)で生まれた。この町は現在ではデカルトと呼ばれる。父親のヨアヒムは高等法院付きの法律家で、親類の多くは法律家か医師であった。……

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第32回 道徳理論の使命──ジョン・ロックの場合

 ジョン・ロックは1632年8月29日、イングランド南西部のサマセットに生まれた。父親は治安判事の書記や弁護士として働いた法律家で、1642年に議会とチャールズ1世の間で戦闘が開始されると、議会側の軍に参加した。ロックは父親が仕えた治安判事の推挽でロンドンのウェストミンスター校に入学し、さらにオクスフォードのクライスト・チャーチ・コレッジに進学した。1684年に除名されるまで、彼はクライスト・チャーチに籍を置くことになる。……

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第31回 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ

 シモーヌ・ヴェイユは、截然として容赦がない。彼女によると、「哲学の適切な方法は、解決不能な諸問題のあらゆる解決不能性を明晰に理解し、ただそれらを熟考することである。じっとたゆむことなく、年月を経ても、希望を抱くこともなく、辛抱強く待ちつつ。この規準に照らすと、本当の哲学者はわずかしかいない。わずかならいるとさえ言いがたい。……」

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第29回 憲法学は科学か

 明治時代の日本は、ドイツから2つの憲法原理を輸入した。君主制原理と国家法人理論である。君主制原理は、天皇主権原理とも呼ばれる。ごく単純化して言うと、上杉慎吉が唱導したのは君主制原理であり、美濃部達吉が唱導したのは国家法人理論である。  君主制原理は、国家権力はもともとすべて、君主(天皇)が掌握しているとする。しかし、国家権力を君主が実際に行使する際は、君主が自ら定めた憲法(欽定憲法)にもとづいて行使する。大日本帝国憲法のもっとも核心的な条文である第4条は、次のように定める。……

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第28回 法律を廃止する法律の廃止

今回は、少々頭の体操の様相を帯びている。新世社から刊行されている拙著『憲法』は、現在第8版である。その448頁に次のような括弧書きの注釈がある(章と節の番号で言うと14.4.5)。 もっとも、19世紀半ばまでのイギリスでは、ある法律を廃止する法律が廃止されると、元の法律は復活するという法理が通用していた。法令の「廃止」がどのような効果を持つかは、個別の実定法秩序が決定する問題であって、概念の本質や論理によって一般的に決まる問題ではない。  これは、いわゆる違憲判決の効力論に関する注釈である。違憲判決の効力という標題の下で通常議論されているのは、法令違憲の判断が最高裁によって下された場合、その法令の身分はどうなるかである。……

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