憲法

憲法学の散歩道
第20回 『法の概念』が生まれるまで

 法史学者のブライアン・シンプソン(Alfred William Brian Simpson)は、1931年にイギリス国教会の牧師の末っ子として生まれた。1951年、オクスフォードのクィーンズ・コレッジに入り、法学を学んだ。1955年から73年まで、リンカーン・コレッジのフェロウを務める。その後、ケント大学教授、ミシガン大学教授等を歴任する。逝去したのは、2011年である。  シンプソンの没後に刊行された著書に『『法の概念』に関する考察』がある。……

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第19回 共和国の諸法律により承認された基本原理

フランスの違憲審査機関である憲法院(Conseil constitutionnel)の1958年の創設から1986年にいたるまでの主要な決定の評議の記録が本としてまとめられている*1。どの決定の評議録もすこぶる面白い(憲法学者でない方がお読みになって面白いかどうかは別の話である)。たとえば1971年7月16日の評議と決定は、憲法院の機能自体を根本的に変革したと言われる。……

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第18回 シュトラウスの見たハイデガー

 レオ・シュトラウスは、クルト・リーツラーの思想に関する記念講演で、マルティン・ハイデガーについて次のように語っている。  [ハイデガーと]同じ程度にドイツの、いやヨーロッパの思想に影響を与えた哲学教授を見出そうとすれば、ヘーゲルまで遡る必要がある。それでもヘーゲルの同時代には、ヘーゲルと並ぶ、少なくとも明白な愚かしさに陥ることなく、彼と比較し得る哲学者がいた。……

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第17回 アレクサンドル・コジェーヴ──承認を目指す闘争の終着点

 1932年にパリで出会って以降、レオ・シュトラウスとアレクサンドル・コジェーヴは、生涯にわたって対話を続けた。  アレクサンドル・コジェーヴは、1902年5月11日、モスクワの裕福なブルジョワの家庭に生まれた。彼は1920年、革命の勃発したロシアを逃れ、カール・ヤスパースの下で博士論文を執筆する。  1926年末、彼はパリに移って研究を続け、1933年から39年まで、高等研究院でヘーゲルの『精神現象学』に関する講義を行った。この講義には、レイモン・アロン、ジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトン、モーリス・メルロー・ポンティ、ジャック・ラカン等が出席した。……

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第16回 レオ・シュトラウスの歴史主義批判

 レオ・シュトラウスは1899年に、プロイセンのヘッセン州キルヒハインで、穀物商を営むユダヤ人の子として生まれ、マールブルク大学とハンブルク大学で学んだ。ハンブルク大学では、エルンスト・カッシーラーの指導の下で博士論文を執筆している。  1922年、シュトラウスはフライブルク大学で、エトムント・フッサールの下でポス・ドクの研究活動を続け、フッサールの助手であったマルティン・ハイデガーの講義にも出席している。当地でシュトラウスは、ハンス-ゲオルグ・ガダマー、カール・レーヴィット、ハンナ・アレント等と知己となった。……

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第15回 神の存在の証明と措定

 神の存在に関する議論は、古来多い。スピノザの『エチカ』の冒頭部分に、神の存在証明がある。  スピノザによれば、神は「絶対的に無限のもの、つまり無数の属性によって構成される実体であり、その各属性が永遠にして無限の本質をあらわすもの」として定義される(1def6)。実体として定義された神には、存在することが本質として帰属する。いかなる実体といえども、他のものから産出されることはない(1p6c)。存在が他のものに依存することは実体の本質に反する(1def3)。存在することは、実体の本質である*2。存在することが神の本質であるとすると、存在することは神の属性でもある。属性とは、知性が実体につき、その本質を構成するものとして理解するものだからである(1def4)。……

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第14回 価値多元論の行方

 政治思想史家のアイザィア・バーリンは、価値多元論者として知られる。価値多元論(value pluralism)は、価値一元論(value monism)と対置される。  価値一元論は、いくつかの主張によって構成される。第一に、あらゆる道徳問題には、唯一の正解がある。第二に、正解へ行き着く途は発見可能である。第三に、すべての正解は相互に両立可能であり、ジグソーパズルのように、全体として整合する。……

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第12回 plenitudo potestatisについて

 テューダー朝のヘンリー8世は、イングランド国教会を創設したことで知られる。  彼は、兄アーサーの未亡人であったキャサリン・オヴ・アラゴンと結婚したが、男子に恵まれなかった。ヘンリーは、その原因が、聖書の禁ずる近親婚であるために神の怒りに触れたことにあると言い始め、ローマ教皇に婚姻の無効を宣言するよう求めた。……

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第11回 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論

 ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、終わり近くの第23章で「高利usury」に関するアダム・スミスとジェレミー・ベンサムの論争に触れている。  「高利」という概念は多義的であるが、いずれにせよ否定的な評価を伴っている。動産や金銭の貸借にあたって、利子を一切とるべきではないという立場からすると──後で説明するように、こうした立場は歴史上、稀ではない──あらゆる利子は「高利」であって許されない。他方、ある程度の利子をとることは許されるが、破格に高い利子をとることは借手の事業と生活を破綻させるし、そうした行為が広まると健全な事業主が資金に欠乏することになり、一国の経済にも悪影響を与えるので許すべきでないという立場もある。……

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