起源と戯れる――子供の手で
前回の記事の最後の部分にちょっとだけ立ち戻り、解説映像『ロバート・モリス 心/身問題』(1995年)でロザリンド・クラウスとロバート・モリスが昔語りをする老人たちを演じていたことを思い出してみよう。それがわざとらしい演出を伴っていたのは、老人の眼差しが本来クラウスにとって、批評家に相応しからぬものだったからである。遠くの過去ばかりを見ようとする老人の眼差しは、美術史家にこそおあつらえ向きだと、彼女は考えていた。クラウスは著書『視覚的無意識』において、影響源を探り当てようとする美術史家の関心を「出典探しのゲーム(game of sources)」と皮肉をこめて呼んだ*1。過去に支えられた現在を予定調和的なものと捉える美術史家は、昔ばかり振り返り懐かしむことに生きがいを感じる老人のようなもので、ポピュラー・サイエンスの雑誌や三文小説などの挿絵入りの頁をめくって心をときめかせる子供の目を持つシュルレアリストの芸術の真髄など理解できないだろう、と彼女はいう。
子供とは意味を学ぶだけでなく生み出すことができるような存在だ。ベンヤミンの論考「子供の本を覗く」から逸話を借りるなら、子供たちは勉強中に、思わずアルファベット教本に落書きをして新しい物語を思いつき、しまいには教科書の内容を書き換えてしまう、そんな特技を持っている*2。大人になるとこうした神秘的ひらめきはなかなか訪れない。世界とは動かし難い法則と秩序のうちに成り立っており、書物は書き換えるものではなく読むものになってしまう。クラウスにとってシュルレアリストの芸術が重要であったのは、それが、幼年時に感じていたような神秘を世界にふたたび取り戻させる、現実の平凡さに退屈してしまった大人たちの本気のゲームだったからだ。
クラウスもまた批評家として、そうしたゲームに本気で参加しようとする。ただそれは新しいゲームのはじまりを告げるものでもある。芸術の革新性を理解するためには、芸術家がどんなゲームの規則とどんな玩具を使った遊びに興じているのか知るだけでは十分ではない。また同じものを使って同じ遊び方をするだけでも十分とはいえない。だから批評家は、過去のイメージをおもちゃにしながら、自分の遊び場で、自分のルールで遊んでみることになる。解説映像『ロバート・モリス 心/身問題』(1995年)はクラウスにとって、活字で行う批評とは別のやり方でパフォーマンスを繰り広げることができる遊戯場だったわけだが、彼女にとっては活字で展開される批評空間もまた、一種の遊戯場であることに変わりなかった。どんなに真面目で難解なテキストであっても、そこでは新しい遊び方が提示されている。読み手にとってそれが難解に感じられるのは、彼女のゲームの規則が、美術史における「出典探しのゲーム」で用いる方法とは大きく異なっているからである。
起源を掘り起こす――慎重な大人の手で
ではクラウスは、子供の目しか持っていないのだろうか。いや、そうではない。彼女が過去の芸術作品を分析するとき、その正確な手つきは確かな歴史的知識に支えられている。遠くのものを近くへと手繰り寄せる行為は、近づこうとするものの源流がどこにあるのか知らなければ、ただ過去を水脈から引き抜き根絶やしにするだけの暴力にしかならない。たとえ蒸気のように拡散し形を持たなくなったイメージでも言葉でも、かつて液体だった記憶を留めているのだから。そうした記憶のありかを探る彼女の手つきは、成熟した大人のそれである。
問題は手繰り寄せたものをどのように扱うかにある。手慣れた美術史家のように、不動の物語を構成する点としてそれを固定するのか。あるいは目新しいおもちゃを手にした子供のように、複数のゲームの規則を考え出し、それに従う様々な遊びを試してみるのか。厄介なことに、両者の境界は紙一重である。クラウスはゲームの規則のうちに、いかにも美術史家が好きそうなルールを取り入れることがある。例えばピカソを論じるにあたってその伝記的事実に触れる、といった具合に。ただそうした場合にも彼女は、ピカソの作品には伝記的事実だけに集約できない何かがあることを直ちに告げる。そののちにクラウスが導き出す結論とは、ピカソが、自らの伝記的事実をも記号化し戯れている、といったものだ。クラウスは作品の中で動き回る多くの記号を捕まえては批評という自分の遊戯場に持ち込む、蒐集家なのである*3。
クラウスが解説映像の中で演じていた衒学的な学者は、美術史家であった。彼女はわざとらしい演技と笑いによってこの役割と距離を取るが、それが必要とされたのも、彼女の批評的営みが美術史家の回顧的眼差しと紙一重であることの証左である。美術史家とのずれを強調しながら、彼女は、権威的な学者とは違うやり方で過去に触れようとする。過去のイメージや言葉を一旦批評的な遊戯場に持ち込むのである。だがこの遊戯場には、出典先あるいはかつての帰属先の記憶のかけらが保存されている。それは、車やキッチンセットが、たとえミニチュア化されたおもちゃになったのちも、かつて現実世界で有していた意味のかけらを保存しているのと同様である。あるいは、かつて儀礼に用いられていた道具がおもちゃになっても亡霊のように「聖なるもの」を潜ませているのと同様である。もちろん美術史家の「出典探しのゲーム」もまた、この記憶のかけらを探す行為にほかならない。ただそこでは遊戯性はきわめて限定されていて、たいていゴールとされるのは、直接的に影響を及ぼした出典を同定し、単線的で一方向的な影響関係の系譜を描くことである。クラウスの遊戯がこのルールから外れるのは、一つのおもちゃのうちに複数存在し、複雑に絡み合うか重なり合うかしている記憶のかけらを掘り起こしていくからだ。すると単純な直接的影響関係だけでは語れない複雑な地層の深みにまで潜って、遊戯的空間を立ち上げることができるようになる。
彼女は自分のプレイグラウンドで、いつもこのかけらを丁寧に掘り出し拾いあげては、彼女の遊び場を訪れた私たち読者にみせてくれる。例えば男性以外の現代芸術家の作品を中心に扱った1999年の著書『独身者たち』では、「女たちの作品に特別な弁護は必要ない」*4と述べながらも、その作品を作者の個人史や前衛美術の歴史、視覚文化の歴史が織りなす網目の中に置いていく。同じ年の『《北海航行》—―ポストメディウム時代の芸術』では、「時代遅れ」の事物を蒐集するマルセル・ブロータースが構築するミュージアムから、一つ一つイメージや言葉を取り上げることで、「メディウム特性」という概念に再考を迫ろうとする。
メディウム特性とは、アメリカの批評家クレメント・グリンバーグが提唱した概念であり、ごく簡単にいえば、あるジャンルの本質をなすような素材や媒体(つまりメディウム)に特有の性質のことである。絵画であれば絵の具の表現がもたらす平面性が、絵画というジャンルのメディウム特性にあたり、抽象絵画の出現はこの特性を突き詰めた結果にほかならない、ということになる。このように、それぞれの芸術ジャンルにおいて本質的であると考えられるかたちに作品が還元されていくことで、芸術は自律的で「純粋」たりえると、グリンバーグは理解した。
これに対しクラウスは、ブロータースが蒐集した様々な事物のメディウムを、「メディウムの支持体の物質性と決して単純に溶け合ったりしないような、複数の約束事の層形成」として捉えようとする*5。このように理解する彼女の意図は、芸術家が集めた事物を索引=指標として機能させながら、その奥深くに埋まっている多重構造的な「約束事」の地層を掘り起こし、芸術家とともに、技術や事物の起源に存在するユートピア的な救済=解放の力を作用させることにほかならない。彼女はベンヤミンに導かれながら次のように語る。すなわち、「どんな社会形態にも技術工程にも、それが誕生した当初にはそのユートピア的側面がたしかに存在していた」のであり、それらは「その技術が廃れかかったとき」にこそ、「有用性の支配」から解き放たれ*6、当初持っていた救済の力を持つ。そうした時代遅れの事物のコレクションによってミュージアムを構築するブロータースは、「作品の裏地に救済的と呼ぶべきものを縫い込んでいる」*7。
解放する――老成した子供のような大人の手で
クラウスが先に引用した箇所で、「救済的(redemptive)」という言葉をイタリックで強調していることを見逃してはいけない。彼女はベンヤミンが「歴史哲学テーゼ」で問題としていた「救済」が、世俗的な「解放」の意を含んだ「救済(Erlösung)」であることを示唆しようとしているのである*8。かつては商業的ないしは産業的に生産されたイメージやモノ、言葉は、時代遅れになり、実利性から解放され、値札を外されることで、それらの事物を生み出す技術が産業化以前に有していたユートピア的なヴィジョンが再び救い出されることになる。この救済=解放を可能にするにはいくつかの条件がある。まず広大な大地から化石を探り当てるかのように、歴史を遡って産業化前の技術のあり方を探らなければない。この遡行は、産業化の過去をなかったことにする「純化」の行為とは、まったく別物である。こうした「純化」とは、イメージが生み出された環境の忘却にほかならず、いわばダイナマイトを使って地層を吹き飛ばす作業だ。だがクラウスやブロータースのように、化石が生きてきた環境をも知ろうとするなら、こうした手段は使わず、産業化の過去の地層を成す土もまた、その手で丁寧に掬いあげ観察しなければならない。そして最後に、化石となったイメージや言葉に秘められていた救済=解放の力が、掌のうちで新しい脈動を開始するよう、自分の掌をユートピア的な遊戯場に変えなければならない。ブロータースが試みたのは、素材や媒介の固有性という境界区分を突き破りながらそうした発掘と遊戯を行う試みだったのだと、クラウスは捉えた。
ブロータースの作品を前にした批評家にとっても、作品の裏にあるユートピア的なヴィジョンに近づくには、そのプレイグラウンドを覗いてみるだけでは明らかに十分ではなく(彼の作品をただ漫然と見るだけで永遠の救いと解放が訪れるわけではない)、自分の遊戯場におもちゃを持ち込み、複数の遊びを試してみるほかない。そこで用いるゲームの規則が既存のルール、使い古されたルールの単なる使い回しなら、おもちゃは凡庸な遊びしかもたらさず、プレイヤーはいつまで経っても解放の瞬間を迎えることはない。けれどその遊び方があまりにも乱暴なら、玩具は壊れてしまって、それが潜在させていたはずの解放の力もろとも失われてしまう。だからこの玩具で上手く遊ぶためには、子供のように新しい遊びに夢中になれる大人であることだけでなく、大人のように慎重で思慮深い子供であることもまた、必要とされる。老成した子供のような大人であることが、必要なのである。
クラウスとモリスが1995年の解説映像で発した笑いは、子供と大人の間を行き来する彼らの身体の痙攣そのものだった。自分たちが忌み嫌うはずの権威的な大人の振り、あるいは懐古的な老人の演技をしていたら、自分たちの中に潜む恐るべき子供たちが思わずそれに反発して、笑い声を上げる。笑い終えると今度は、彼らは大人に姿を戻す。モリスは芸術実践を続ける「タスク・パフォーマー」に。クラウスは、慎重に思慮深く、それでいて容赦なく作品を分析する批評家に。クラウスは作者の言葉や自らの言説をもときには疑うような、容赦のない批評家である。プレイグラウンドに足を踏み入れることもなく芸術の純粋性や自律性について結論を出そうとする人々に対しても、あるいはそうしたものはかつて存在しており現在は永遠に失われてしまったのだと観客席から嘆くだけの人々に対しても、かように容赦のない批評家なら、きっと笑い飛ばすに違いない。芸術が不純なものに感じられる現状を変えたければ、まずは自分固有の遊び場と遊び道具を探して、遊んでみたらどう、と。
彼女が自らのプレイグラウンドで遊ぶにあたって、最良の導き手となったのは、疑うことなくベンヤミンの言葉の数々である。1931年、恐慌により不穏な影が世界中を覆おうとしていたときにベンヤミンが発表した原稿「蔵書の荷解きをする」では、彼は「老人的な性質」と「子供のような性質」を同居させる「真の蒐集家」について語っている。古い言葉を集めるのに夢中な蒐集家は、「この世の存在を意のままに新たに生まれ変わらせ、しかも百通りものやり方を苦もなく操ってみせ」る子供のようなところを持っていて、この性質を存分に発揮しながら手に入れた本を「新生」させる。「新しいものを手に入れたい」という蒐集家の願望の中には、何かを自分のものにすることで「手で触ることから名づけることに至るまで」様々なやり方で「古い世界を新生させる」子供のような衝動がある、というのである*9。そこからさらにベンヤミンは次のような極論を提示する。すなわち、「本を手に入れるあらゆる方法のうちで、最も賞讃すべきものとみなされるのは、自分で本を書くことです」*10。
クラウスはもちろん自らの手で芸術作品を制作したわけではないが、クラウスの著述そのものに、ベンヤミンが語る真の蒐集家と同じ側面、すなわち過去の芸術や視覚文化を「新生」させるような側面がある。過去を拾い集め、並べ、保存し、その起源を破壊しないように気をつけながら、蒐集した言葉やイメージと戯れ、それら同士のうちに新しい関係性を打ちたて、新しい意味を慎重に書き加えていく。そうして書かれた著述には、書き手が蒐集した過去の言葉やイメージの亡霊が宿っていて、読み手の前にひょっこり顔を出して驚かすこともあるだろう。それはクラウスの批評を読む時の私たち自身の体験である。クラウスがこれまでの批評の中で、既存のものを新生させるような芸術行為の数々を好んで論じてきたというだけではない。古い言葉とイメージを集め、自分の掌で触り、名づけ直す行為にほかならないクラウスのエクリチュールにも、過去の思想の言霊が宿っているのである。クラウスの仕事は批評というジャンルに属するものだが、同時に彼女の著述が多くの美術史家の仕事で参照されてきたのも、過去の地層を探るその手の的確な動きと、その動きによってもたらされた過去のかけらの新たなる布置に、説得され魅了されたからにほかならない。そして彼女の著述が美術関係者の枠を超えて多くの人々を魅了してきたのは、難解な彼女のテキストの裏側に、「解放的」と呼べるようなもの、ユートピア的な場を求める衝動が、縫い込まれているからに違いない。この解放の力に近づくためには、読者は字面を眺めるだけでなく、遊戯場で取り上げられた言葉やイメージに、自分の手で触れてみるしかない。そしてこの要請こそが、彼女の批評家としての仕事の持つ魅力の一つなのである。
美術史家の「遊び」の区切りに
笑うクラウスに近づいたあとは、私自身の仕事について触れて、記事を終えよう。私が職業的には批評家ではなく美術史家であることのほうを好んできたのは、私にとってはそのほうが、遊戯場に持ち込んだものを台無しにしてしまうリスクが低いように感じられたからだ。それでも私がつねに特定の批評家の仕事を好んで読んできたのは、そうした批評家たちの仕事が、美術史もまた言語ゲームと無縁ではあり得ず、特殊な遊戯場の上に成り立っているということを思い出させてくれるからである。ただ、美術史に存在する諸々のゲームの規則は、すでに多くのプレイの中で検証されたものでもある点で、批評家がときに見せてくれるような大胆で創造的な遊びとは、やはり性質が異なっている。美術史家が用いるゲームの規則は、それぞれに特有の利点と問題点がはっきりとしているからこそ、たとえ言語ゲームからこれまでにない意味が立ち現れたとしても、すみやかに、そして比較的容易に、安定した体系のうちに位置付けることができる。だがときには、位置付けるべき場所の全体像を見失うリスクを負ってでも、試したことのないルールで、創造的な遊びを試してみたくなることがある。明らかにそのように誘いかける作品が存在するからである。
このことはあまり語られてこなかったが、しかし同じ感覚を抱いているのは私だけではないはずだ。この連載を通して紹介した過去の美術史家や思想家、作り手のなかにもまた、自らの手で触れるように作品を見て語った者たちがいたことを思い起こしてみよう。それぞれのゲームの規則は異なれど、自分のプレイグラウンドで作品と戯れようとしていた点においては、先人たちの触感的な鑑賞の試みは、クラウスの作品への触れ方と根本的には変わらない。彼らはおのれの身体感覚を拡張させ、あたかも事物に触れるかのようにして、目の前の作品を鑑賞した。その試みは、主観により対象の理解を歪曲してしまうリスクを孕んでいたが、美術史の黎明期には、そのリスクを背負ってなお、自らの手で触れてみたいという誘惑に抗い難く引き寄せられ、この遊びを作品分析のうちに折り込もうとした学者たちがいた。彼らから方法論を受け継ぐ人々の、作品分析の手つきのうちにも、その遊びのかけらが潜んでいる。
過去の言葉やイメージが時代を超えて私たちに向けるこの誘いにたいし、それらが潜在させる力を台無しにしないで上手く応じるのに、結局どのような方法がもっとも適しているのかは、作品や論じ手=遊び手によって異なっているというほかない。しかしその方法において共通して言えることとしては、作品で遊ぶというよりも、作品と遊ぶような姿勢が必要とされる点である。壊れやすい「あなた」を傷つけないよう、細心の注意を払いつつ、「あなた」と対話し、その中で少しずつ大胆になっていくゲームの規則のたたき台を互いに出し合いながら、この遊びは展開されることになるだろう。ユートピアというどこにも存在しない場でこそ解放された過去の言葉とイメージは、こうして、こだまのように響き合い、うまくいけば、まだ見ぬ「あなたたち」の掌へといつか届くこともあるだろう。
今でも私が、仕事を超えて芸術作品や特定の批評に魅了されることがあるとすれば、それは混じり気のない美しさゆえでも、実利性を持たない純粋性ゆえでもなく、遊びへと誘うこの呼びかけの力強さによるところが大きい。子供の頃は作品が持つ遊びへの呼びかけに、直観的に応じた。作品として立ち現れた「あなた」と遊ぶ中で、混じり気のない純粋な美に出会えば、うっとりとした。びっくりするほど不純で不快なものに出くわせば、思わず拒否した。一本の糸を引き抜いたと思ったら、美しいものと不快なものの両者が絡まり合った複数の糸のもつれが出てきて、戸惑うこともあった。そのうちのいくつかの糸は、自分固有の精神状態や身体感覚と、響き合うかもしれない。このとき遊びは、音楽を奏でる行為に変わる。それは新しい調べなのに、どこか懐かしさを覚えるかもしれない。それは古い調べなのに、まったく聞いたことのないものに感じられるかもしれない。
何も知らない子供でも、作品を構成する糸を手繰り寄せ耳を澄ましながら弦を弾いてみることを覚えさえすれば、直観的な美術鑑賞は可能だ。「あなた」と「わたし」で音楽を奏でながら、同時に私たちはその調べに耳をそばだてる。音楽を奏でながら、私たちは弦の震わせ方を学び、音の聞き方を学ぶのである。当たり前のことだが、奏でる前はこの音楽を聴くことはできない。芸術作品を前にして、幼い頃の私は「触れることができない何か」を感じ取り魅了されたものだが、それは今から思えば、まだ奏でられていない音楽、これから奏でられようとしている音楽の予感のようなものだったのかもしれない。
ただし大人になっても「芸術」と呼びたくなるような力を持つ作品を私が必要とする理由は、子供の時分に戻って、ただ直観だけを頼りに音楽を奏でるのに没頭したいからというだけではない。直観がすぐには働かないような場合にも、過去のイメージや言葉との関係の網目のうえにおいてみることで、少しずつ知覚や認識が再編成され、自分の固有の経験や記憶が鋳直されていく、そんなときがあるからだ。作品との対話が実現する度に新たに自分の周囲に立ち現れるこの遊戯場は、現実の感じ方や考え方を少しずつではあれ変えてくれる。語られてこなかった過去の人々の記憶や感覚を、現在の自分に引き寄せてくれることもある。自分の想像や直観を超えた現実や、自分の経験の外にある過去の記憶や感覚に近づく手段を与えてくれるこの遊戯場は、おのれの想像力や直観の限界と衰えに直面し、それでも世界と別の仕方で出会い直すためにときには自分が経験してきた範囲内の現実から身を離さなければならないと切実に感じる大人にこそ、必要とされるものだ。
遊戯場でのそうした探究は、私にとって本来、きわめて私的な性質が高いものである。なぜならそれは、私がこれまでどのように生きてきて、これからどのように生きていくのかということと、直結しているからである。原則として美術史家としての仕事では、そのような部分を公の言葉にすることなどはじめから求められていないし、暗黙裡に禁じられてさえいる。作品について論じる時には、作品世界を自分の世界とリンクさせたりせず、あくまでも対象の方で完結した、いわば閉じたものとして語る。そのためにできるだけ「わたし」という主語を用いないようにすら努める。フランス語で学位論文を書く時には、どうしても一人称が必要なら複数形の「わたしたち」を用いるよう教わった。その方が主観的な偏りや不必要な自分語りを避けることができるからである。
だが言葉にしていない経験は誰にでもある。私的な所感を垣間見せて良い場として、例えばフランス語の博士論文の場合には、巻頭を飾る「まえがき」があった。日本語の著書の場合、これは「あとがき」にあたる。そうした場ではしばしば、あまりオフィシャルでないインフォーマルな研究の動機や経緯、あるいは、研究を遂行するにあたって直面した苦悩や喜びという率直な感情が記される。またそこでは常々謝辞が記されていて、その人の仕事をサポートした人や機関が誰なのか、精神的な支えとなった人が誰なのかということまで、知ることができる。新しい本を手に入れて、そうしたちょっと私的な部分を見たいがゆえに、学術書の「あとがき」から読み始める人もいるだろう。
私にとってこの連載全体は、とても長い「まえがき」や「あとがき」のようなものだった。かろうじて人に見せることはできるけれど、美術史家の「仕事」として位置付けて良いのかと問われると憚られる、そんな遊びである。批評家の「仕事」ほどにはクリティカルでもアクチュアルでもない遊び、とはいえ入門者向けの解説者の「仕事」ほどには親切とはいえない遊び、ジャンルの不確かな遊びである。それでもこの遊びは私の美術史家としての「仕事」と決して無関係ではなく、いつも仕事場と隣接していたり、その下層に潜在していたりする。実際、連載を通して身を投じた遊びのいくつかは、同時並行して進めていた仕事の糧にもなったし、これまでの仕事の余白で出会ったものに触れ直す機会にもなった。
この連載は、「仕事」の一環として新しい知見や斬新なものの見方を示すというよりは、個人的に気に入っている過去のイメージや言葉のコレクションが詰まったおもちゃ箱をひっくり返して、「わたし」を主語にすることも厭わず、作品という「あなた」、そしてまだ見ぬ読者である「あなたたち」の前に並べて語りかける、そんな発話の場だった。私は普段、そうした発話を、親しい人たちや信頼できる同僚・学生との会話の中でしかしないが、論文ではなくインターネット上の連載という場なら、いつもは出会えない読者たちに言葉を伝えるための、格好の遊び場を作り出せるのではないかと思った。ネット上のイメージや言葉が単なる知識と情報に還元されていくなか、情報ではなく体験として作用するようなイメージと言葉の連なりをネット空間で生み出し、生活の合間に偶然に訪れた人が、ふと自分でも遊びたくなるような場を作り出せたら、どんなに良いだろうと思ったのだ。
そんな場の構築がもしかしたら可能かもしれないと思った直接のきっかけは、カジャ・シルヴァーマンの『アナロジーの奇跡』(月曜社、2022年)との出会いだった。礒谷有亮さんと共訳したこの本について、連載の中でも何度か触れた。この本は著者であるシルヴァーマンにとって、イメージに対面する「わたし」と、「あなた」としての写真イメージとの、双方向的な対話のあり方を探る試みであった。彼女がそこで鍵語の一つとした「液体的知性」は、本連載では液体の比喩のうちに幾つかのイメージや言葉を再訪することを可能にしてくれた。それだけではない。「液体的知性」は、「光学的な知性」に徹する美術史家の姿勢に反省を迫るものであり、過去のイメージが潜在させている知の豊かな可能性を告げるものだった。シルヴァーマンはまた、その対話が成立するユートピア的な空間を「ある種の共和国」と呼んだ。シルヴァーマンはハンナ・アーレントの『カントの政治哲学講義録』(1970年に行われた講義記録をもとに編集され、没後出版された)中の用語をタイトルに冠した自著『世界の観客』(World Spectators, Stanford University Press, 2000)では、マルティン・ハイデガーの論考「物」を手引きにしながら、共和国の語源であるラテン語「res publica」が、元来国家を意味するのではないことに注意を向けている。「res」とは人間に係り合う物事であり、それは「現実(realitas)」という概念とも関わる。つまり、互いに係り合うなかで立ちあがる「現実」を共有しそれを主題として話す人々が、同じ「共和国」の住人である、ということになる。私もシルヴァーマンの文章との対話を介して、普段なら親しい人と時折共有するだけだった、基本的には孤独に引きこもるための場である遊戯場の囲いを少し取り払って、そこをたまたま訪れた人にそっと手を差し出し遊びを提案するような場を新たにつくれやしないかと、素朴に思うようになった。
もう一つ、掌の美術論という連載を遊びの場にしようとした私的なレベルの動機もある。遊戯場というテーマの文章を執筆する計画は、コロナ禍と出産育児のライフステージを同時に迎え、限定された生活空間や社会的役割のうちに幼子とともに閉じこもらざるを得なくなった私が、鬱屈した日常からの解放を求めてなんとなく構想し始めたものでもあった。連載の話が持ち上がる前のことである。ただ私にとってこの解放の導き手となったのは、「芸術」と呼びたくなるような力を持つイメージや言葉だけではもちろんなく、限定された生活空間を広大な遊戯場に変え、私を「お姫様」にも「王子様」にも、「くまさん」にも「ねこさん」にも変えてくれる、幼子の存在でもあった。限定された日常からの解放を求めながらも、部分的にはこの幼子との遊びがもたらす新しい日常に導かれるようにして、私は遊戯論の構想を掌の美術論へと接続させていった。小さな人との密な対話は、直観的な美術鑑賞の素晴らしさを再発見させてくれ、美術史家として芸術と対話するあり方との違いを意識させてくれると同時に、それでもやはり、大人として鑑賞をする自分の根底にも幼いときの直観的な体験があるのだと確認する機会になった。そんななか連載のお話をいただいたので、既存の方法論的な解説とはまた別のレベルで、作品と自分との関わり方についてじっくり考え直すことができれば、と思ったのだ。もしかするとそのことで、日常からの出口を私と同じように求めてきた人たちにとって、芸術作品が何かしらの新しい可能性を開くかもしれない、というあてどない期待もあった。
だから、ここで一つの遊びにひとまずの区切りを設けてなお、やはりあてどない期待を込めて次のように問い続けずにはいられないのである。使い古された過去のイメージや言葉は、今後私とあなたの掌の中で、年端もゆかない幼い人がやがて成長したその掌で、そして未来を生きるまだ見ぬあなたたちの掌で、どのように新しい遊びを開始し、新しい遊び場を構築するのだろうか、と。
*1 Rosalind Krauss, The Optical Unconscious, Cambridge and London, The MIT Press, 1994, p. 54(ロザリンド・クラウス『視覚的無意識』谷川渥・小西信之訳、月曜社、2019年、84頁).
*2 ヴァルター・ベンヤミン「子供の本を覗く」西村龍一訳、『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』浅井健二郎編訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1996年、38頁。
*3 Rosalind E. Krauss, “The Circulation of the Sign,” in The Picasso Papers, Cambridge and London, The MIT Press, 1999, pp. 23-85.
*4 ロザリンド・E・クラウス『独身者たち』井上泰彦訳、平凡社、2018年、46頁。
*5 Rosalind Krauss, “A Voyage on the North Sea”. Art in the Age of the Post-medium Condition, Thames & Hudson, 1999, p. 53. 次の邦訳を参考にしながら、原文にそくして訳出し直した。ロザリンド・クラウス『ポストメディウム時代の芸術――マルセル・ブロータース《北海航行》』井上泰彦訳、水声社、2023年、108頁。
*6 Krauss, p. 42. 上記の邦訳(75頁)を参考に訳出し直した。
*7 Krauss, p. 45. 上記の邦訳(89頁)を参考に訳出し直した。
*8 ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について〔歴史哲学テーゼ〕」久保哲司訳、浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫、1995年、646-647頁。ベンヤミンが論じる「救済」を、世俗的な「解放」として捉えるにあたって、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンは「解放」を意味するフランス語「émancipation」を同関連づけている。ディディ=ユベルマンによれば、その語源であるラテン語の「emancipare」は、「何か、あるいは誰かを、所有の権利、すなわちそれ自体が商業的な操作、売却という行為によって獲得された権威それ自体から解放すること」を意味する。さらにラテン語の「mancipare」とは、「自身の手で何か—さらに誰か—を掴み、自身の私的な所有物とする」ことであり、「emancipare」はそれとは反対に、「誰かの手をとって拘束のない領域、誰にも「所有され」ない自由な空間へその誰かを導くこと」である。ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『受苦の時間の再モンタージュ』森元庸介・松井裕美訳(ありな書房、2017年)、125〜127頁。
*9 ヴァルター・ベンヤミン「蔵書の荷解きをする」浅井健二郎訳、浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』ちくま学芸文庫、1995年、18頁。
*10 同上、19頁。
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた
第16回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(前編)
第17回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(中編)
第18回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(後編)
第19回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(前編)
第20回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(中編)
第21回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(後編)
第22回 働く手(前編)――仕事中を演じる
第23回 働く手(中編)――芸術の「自律性」を宙吊りにする