掌の美術論 第20回
顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(中編)

About the Author: 松井裕美

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。
Published On: 2024/10/28By

 
『掌の美術論――触覚と想像力に』、2026年7月2日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
 
 

顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(中編)

 
 
ローランサンと鏡の部屋
 

 芸術関係の文章の中でも、芸術家の伝記は比較的人気のあるジャンルと言ってよいだろう。それは作品だけでなく作者そのものに、人々が魅力を感じるからだ。よく書けた伝記やドキュメンタリー映画は実際、その人のプライベートや内面を垣間見せることによって親しみを抱かせてくれる。だがときにはそこに現れる人格の一貫性のなさに戸惑うこともある。マリー・ローランサンはその一人である。
 
 作家フロラ・グルーは、ローランサンの親友(恋人でもあった)ニコル・グルーの娘であり、母が残した書簡の下書きや幼少期の記憶をもとにしたローランサンの伝記を1987年に記している。グルーが描くローランサンは、「不安な魂を抱えながらも、いつも穏やかで、自分の将来などまるで気にかけず、自己陶酔的ナルシシックでしかも献身的、朗らかだけれど悲しげでもあり、世間に出ると少し途方に暮れたように見える人*1」だった。それだけではない。彼女は多くの男性とのあいだに艶聞を作り、女性にも「情熱と呼べる感情」を抱き、好奇心の強い官能的な人物として描かれながら、同時に性的なことには奥手な少女としても語られている*2。またグルーによれば、ローランサン自身は、自らを「液体のような人間」、それも「HO」のような捉えどころのない存在として人に見られたがっていた*3。彼女は常に何かの間で引き裂かれていたし、そうした自己を神話化しようとした。彼女は裕福な父親とお針子の母親のあいだの私生児としてパリに育ち、ブルジョワ的な感性と都会的な趣味とを培い、他方では自身の先祖に植民地の黒人の血が混じっていると信じ、そうした自己のエキゾチックな起源にある種のロマンを感じていた。パリがナチスに占領された時期には反ユダヤ主義的な発言を繰り返しながら、同時に強制収容所に送られた彼女の友人でユダヤ人の詩人マックス・ジャコブの身を真剣に案じた*4。グルーは焦点を結ばない彼女の像を、嘘で取り繕って一貫した人物像のように仕立て上げることなどせず、断片的で一貫性のない姿、つまり「複数のローランサン*5」として書くことに徹底した。ただグルーはなんでもあけすけに暴露したわけではない。ローランサンと女性たちとのあいだの恋愛関係については、グルーは決して具体的に語らなかった。
 
 ローランサンのそうした捉えどころのなさを踏まえながら、エリザベス・ルイーズ・カーンは、2003年に出版したローランサンの伝記の冒頭で、次の点について確信を持って伝えている。すなわちローランサンは「演者パフォーマー」であり、「私的な政治性を暗号化し、レズビアンであることを覆い隠し、時には偉大な芸術家のイメージの物真似をする」人物であった。つまり彼女が公に見せる姿は仮装に過ぎなかったのだ、と*6。カーンはまた、ローランサンを擁護する周囲の批評家や作家が彼女について書く際にも、彼女の同性愛者としての性的な私生活を暴露しないよう「気配り」をしていたと、指摘している。「気配り」という語をここで用いたのは、ローランサン自身のうちに異性愛的な規範を隠れ蓑とするようなところがあり、彼女自身が同性愛的な私生活のありようを公言しようとはしていなかったからだ*7

 しばしばローランサンの作品の特徴とされる「女らしさ」についてはどうだろうか。フランス語で「女らしい」を意味する形容詞「feminin(e)」を、ローランサン自身は著述の中で好んで用い、逆に「男らしい」ものは自分から遠ざけた。ピカソやブラックといった前衛芸術家たちにその作品の価値を認められ、詩人アポリネールと恋愛関係にあり、周囲の人々を魅了し翻弄しながらも、彼女はそうした男たちの前衛的なサークルに嫌気がさし、1912年までにはピカソを取り巻くグループから離れていく。彼女が1956年に出版した『夜の手帖』掲載の回想録には、男性画家たちに対し感じていた気後れがはっきりと記されている。男たちとは彼女にとって、「解きほぐし難い問題」だったのであり、「彼らの議論、彼らの探究、彼らの天才」は、彼女を常に動揺させた*8
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つづきは、単行本『掌の美術論』でごらんください。

 
身体を通して、世界に触れ、世界と戯れ、世界を模倣し、そして世界とずれていく。そのずれの中にこそ、芸術の可能性は宿っている。
 
2026年7月2日発売
松井裕美 著『掌の美術論――触覚と想像力に』

 
四六判上製・352頁 本体価格4000円(税込4400円)
ISBN:978-4-326-85207-9 →[書誌情報]
【内容紹介】遊びが手触りや感覚を頼りに新たなゲームや楽しさを創造し、ときに新しい認識や価値を開いていくように、触覚を軸にした鑑賞の方法を提示する。触覚に関わる美術史を整理したうえでフェミニズムや歴史・記憶と芸術作品の関係など、現代的な問題意識を織り込んだ作品解説を通し、触覚と想像力が拓く遊戯場としての美術史を紡ぎだす。

 
》》》バックナンバー 《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた
第16回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(前編)
第17回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(中編)
第18回 おもちゃのユートピア——その理論と実践の系譜(後編)
第19回 顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(前編)

About the Author: 松井裕美

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。
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